頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2000-12-01から1ヶ月間の記事一覧

縄文時代

考古学を無視して書いていきます。 縄文時代のイメージというと、「縄文土器、採集・狩猟」が主であろう。 縄文時代は一万年続いたといわれているが、一万年もの間、土器の製作や採集・狩猟だけの停滞した生活を送ったわけではないだろう。 なぜなら人間とい…

『浦島太郎』・『江戸時代』

『浦島太郎』 浦島太郎伝説、もしかしたら本当にあったことではないかと思い始めている。 最近ある人から聞いた話である。 その人が幼いころ、一人の女の子が行方不明になったそうだ。 裏山に遊びに行ったまで情報を得られたので、町内あげての大捜索が行わ…

原爆

今の歴史が始まって以来最悪の出来事といえば、1945年8月6日と8月9日の米軍による原爆投下だろう。 このことに関して、米国は一貫して、戦争を早く終わらせるためとしていたが、何をかいわんやである。 日本人の中には「犠牲となった人には申し訳な…

未来の歴史

今から数千年後、今の歴史を失った後の話である。 ある考古学者が、我々の時代の地層を調べていた。 この学者は以前、その地層から偶然民家跡を発見し、そこから発掘された茶碗や湯呑を見て、この時代も縄文や弥生と同じく土器を中心とした生活が営まれてい…

十七条憲法

十七条憲法、どうして今の法律家や歴史家は、この憲法を重要視しないのだろうか。 三法-仏法僧-のことさえ解決すれば(つまり政教分離)、今でも十分に通用する憲法だと思う。 三法は、生きがい・教養・他人を尊重する、に置き換えたらいいだろう。 おそら…

邪馬台国幻想

【1】 江戸の昔から、邪馬台国の場所について、いろいろ論争がなされているようです。 ぼくの結論から言うと、邪馬台国はなかった。と思っています。 いや、邪馬台国という国名がなかったのです。 邪馬台国、いかにもうさんくさい名前でしょう? だいたい「…

病院嫌い

昔から病院嫌いで、歯科以外の病院にはほとんど行ったことがない。 二,三十代の頃は、酒をよく飲んでいたので、健康診断でウロビリ反応(これがどういうものか、いまだにわからないのだが)が出たことがあるが、それもいつのまにか治ってしまった。 もちろん…

白髪の話

ぼくは、顔は若いつもりなのだが頭がいかん。 かなりひどい白髪頭なのだ。 白髪は二十歳前後から出始め、三十歳の頃はブラックジャック状態だった。 原因は色々考えられる。 まず遺伝。 これはどうしようもないだろう。 次にシャンプー。 ものの本を読むと、…

巨人の星

今でこそ福岡も民放テレビ局が5つになり、ほとんどの放送が東京と同じ日時に見られるようになったが、昔は悲惨であった。 ぼくが小学生の頃は、まだ日テレ系とテレビ東京(当時東京12チャンネル)系の放送局がなかった。 ぼくは当時プロレスが好きでよく見て…

孤独と焦燥(15)

一ヵ月半はあっという間に過ぎていった。 結局このバイトは、以上のようなことの繰り返しで幕を閉じた。 今考えると変化のない毎日だった。 でも、前にも書いたが、ぼくはこの仕事が気に入っていた。 社会に出る感触を肌で味わっていた。 給料のありがたさを…

孤独と焦燥(14)

さて、この駐車場で一番暇だったのは、警備員と警察官だった。 警備員はいつも駐車場の中をうろうろしていた。 よく「今日は暇だったから、この中を○周しましたよ。ははは」と言っていた。 その間、ぼくたちは客との格闘をしていたのだ。 「あの人は何の警備…

孤独と焦燥(13)

仕事の内容は先に書いたとおりで、簡単に言えば駐車料金をもらう仕事だった。 入場口で車を止め、「駐車料金300円になっております」と言い、料金をもらうのだ。 先にクレーム処理と書いたのは、この駐車場の存在はポスター等で謳っていたが、駐車料金のこ…

孤独と焦燥(12)

この駐車場のメンバーは、バイトが5名警備員が1名の計6名だった。 さらに土日祭日には警察官2名が参加した。 すべて男で、仮設の事務所はいつも狭かった。 バイトのリーダーは大手企業を定年退職した人がやっていた。 サブリーダーは塾の先生。 その下に…

孤独と焦燥(11)

古い話なのでよく覚えていないが、中国展のバイトは9月10日前後から始まったと思う。 本番が9月15日からだったので、その約一週間は研修期間になっていた。 この研修期間のことは何も覚えていない。 たぶん大した研修ではなかったのだろう。 そこ仕事の…

孤独と焦燥(10)

国旗掲揚台事件があってから何日か後、ぼくはバイトを辞めた。 別にクビになったわけではなく、次のバイトの採用が決まったからだった。 でも、嫌気がさしていたのは確かだ。 結局警備のバイトは8月から9月の中旬まで、競艇の開催日が1週おきにあるため実…

孤独と焦燥(9)

自販機の仕事は本当に退屈だった。 BGMにポール・モーリアの「オリーブの首飾り」が繰り返しかかっていた。 このときから、ぼくはこの曲が嫌いになった。 この曲を聞くと、大半の人はマジックショーを思い浮かべるだろう。 でも、ぼくは夏の競艇場の自販…

孤独と焦燥(8)

さて、求人チェックは毎日やっていたのだが、なかなかこれはというバイトに巡り会わない。 7月末、ノイローゼ生活に飽きてきた時に一つの求人広告を見つけた。 A競艇場の警備員募集だった。 競艇の開催期間に人員整理をする仕事だった。 簡単そうな仕事だ…

孤独と焦燥(7)

この2ヶ月間何もしていなかったのかといえばそうではなく、読書と求人チェックだけは欠かさずやっていた。 その頃はもう中也の詩は一段落しており、代わって中国思想シリーズへと突入していた。 「自分を鍛えなおさなければ」といった意味ではなく、なにか心…

孤独と焦燥(6)

バイト探しは、大学受験と同じように次から次に落とされて、数えてみたら3週間で26回落とされていた。 「照和」の翌日から、ぼくは外に出ることをやめた。 いや、外に出ることが怖くなったのだ。 こんなことは初めてだった。 電話に出るのにも、びくついて…

孤独と焦燥(5)

さてゴールデンウィークが終わりバイト探しを再開したが、相変わらずやる気が起きない。 面接を受けるのは受けたが、こんな状態の人間を雇う企業なんかどこにもない。 職種も一貫したものがなく、手当たり次第だった。 あるオーディオメーカーの販売員派遣会…

孤独と焦燥(4)

その夜電話が入った。 伯母からだった。 内容は、「じいちゃんが死んだ」だった。 祖父は1年程前から入院していた。 死因は老衰だった。 好き勝手に生きたのだから、いい人生だったのだろう。 翌日バイト先に電話して、休みを取らせてもらうことにしたが、…

孤独と焦燥(3)

その翌日、とにかく何かしないとと思い、アルバイトニュースを片手にバイト探しを始めた。 もう4月に入っていた。 アルバイトニュースを開いてみると小学館>という文字がぼくの目に飛び込んできた。 『おお、これは幸先いい。しかも職種が企画と来ている』 …

孤独と焦燥(2)

そのおみくじが現実になる時が来た。 3月、受験した大学に全部落ちた。 真っ暗な時代が幕を開けた。 受験したすべての大学に落ちたことで、「もう大学なんかに行くものか!」という気分になっていた。 「とりあえず夜間の短大でも入って、そこで将来のことを…

孤独と焦燥(1)

浪人1年目の正月(昭和52年)に太宰府天満宮に行った。ここは好きな場所で今でもちょくちょく行っているが、この時は受験生だったので、それまでとは違う何か張りつめたものがあった。「天神様、奇跡が起こりますように」と祈り、おみくじを引いた。一瞬固ま…

予備校時代(5)

予備校時代というのは、ぼくにとって小学校から続く一つの流れに過ぎなかった。 何ら生活に変わりはなかった。 相変わらず怠け者だった。 好きなこと以外にエネルギーを使うことをせず、暇があれば寝てばかりいた。 さて、一年間全然勉強しなかったのかという…

予備校時代(4)

詩と読書とギターの予備校時代・・・ いや、もうひとつあった。 姓名判断である。 ぼくは自分の名前が嫌いで、いつか名前を変えてやろうと思っていた。 予備校に入った頃、野末陳平さんの「姓名判断」という本を買った。 それから姓名判断を、自分で研究するよう…

予備校時代(3)

この頃から中原中也に傾倒していった。 中也の年表を読んでいくと、彼も文学にのめり込み学校の成績ががた落ちになっていった、と書いてあった。 単純なぼくは「おれと同じやん」と、中也と同じ道をたどっている自分を誇らしげに思っていた。 中也、中也の毎…

予備校時代(2)

しかし、やはり大学には合格しなかった。 母は「いつも勉強せんでギターばかり弾いとるけ落ちるんよ」と言って、何も同情しなかった。 結局、予備校に通うことになった。 が、ここでも勉強しなかった。 朝は遅刻し、昼飯を食ったらすぐ帰る生活が始まった。 …

予備校時代(1)

ぼくはわりと長い浪人時代を経てきている。 昭和51年春から昭和56年春までの5年間だ。 進学校だったにもかかわらず、ぼくは高校三年になっても進路が定まらなかった。 担任から「しんた、お前はどうするんか? 進学か?就職か?」とよく聞かれたものだっ…

モリタ君

【1】 以前勤めていた会社にモリタという男がいた。 ぼくがその会社を辞める1年前(今から10年前)に、中途採用された。 当時ぼくは、楽器とCDの二つの販売部門をまかされていた。 その前の年にリニューアルで、この二つの部門が1Fと2Fに分割された…