2024年07月
東京
久しぶりに東京の街を歩いた時
ぼくは夏の日のことを思っていた。
思い出はすべて豊洲の埠頭から
荷を積み出していた時のことばかり。
何があったわけではない。
ただ、その毎日の繰り返しが懐かしくて・・・
午後十時に終わる仕事だった。
それから銭湯に通うのだった。
もう人影もまばらで
ぼく一人の石鹸が泡を立てていた。
少しにごった湯船が
ぼくの東京時代のすべてだった。
夏の暑い日々だった。
ぼくはそんな毎日が好きだった。
彼女がいたわけでもなかった。
金があったわけでもなかった。
夢を追っていたわけでもなかった。
これが東京だという出来事もなかった。
ただ、そんな単純な毎日の繰り返しが
ぼくの中で確実に時を刻んでいった。
久しぶりに東京の街を歩いた時
そんな夏の日のことを思っていた。
そしてそんな夏の日の思い出は
ぼく一人の石鹸の香りとして
今もぼくの中を漂っている。
バスに焦がれて
ためいき
ためいき
さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから
そしていつか見返してやるんだ
あいつも、あいつも、みんなまとめて
あの日のぼくは正しかったんだと
それがぼくの人生だったと
もう振り返らない 風は追い風だ
尽きることはない
もしもつまずくことがあったとしても
明日のための布石なんだ
疲れたふりなんかやめて
今日から素直に生きていくんだ
ほら明日が笑っているよ
その日の自分が手招きしている
もう振り返らない 風は追い風だ
尽きることはない
もしもつまずくことがあったとしても
明日のための布石なんだ
さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから
1,
48歳の時、ぼくの所属していた部署が閉鎖になった。ぼくは専門職で雇われていたため、つぶしが効かないと判断され、リストラの対象となり、そのまま会社を退職することになった。
それからおよそ一年間、表向きには失業保険をもらいながら、ハローワーク通いをやっていたのだが、その裏では充分に時間が取れるので、『こんなチャンスはない』と思って、エッセイを書いたり、詩を作ったり、歌を作ったりしていたのだった。仕事のない不安や焦りなど一切なく、前向きに生きていたのだった。
2,
会社を辞める前に、会社側はぼくを自主退職させようとして、色々な工作を仕掛けてきました。この歌は、その時の憤りを詩にして曲を付けたものです。
この歌を書いてから後は、「所詮その程度の会社だったんだ。辞めて正解だった」と思うようになり、不思議と気持ちも安定し、前述の通り前向きになることが出来たのでした。
3,
詩の中の「布石」ですが、何も言葉が思い浮かばなかったので、『あしたのジョー』のセリフに出てくる言葉を使わせてもらいました。
4,
この曲はSoundCloudにも投稿しているのですが、予想外に再生回数が多く、ちょっとビックリしています。聴いてくれている多くの人が海外の方で、この歌詞をどう捉えているのだろうと思っています。
当時のニュース
昔録りだめておいたビデオに
たまに当時のニュースが
入っていることがある。
そういう時はつい見入ってしまい
ああ、この当時こういうことも
あったなあ、なんて思っている。
ところがこの当時とはいうものの
この当時がどの時代だったのか。
それがいつもわからないでいる。
この年でも、あの年でもない。
さていったいどの年だったのか。
なかなか答が出てこない。
考え出すときりがないので
記憶が曖昧な年齢になったのだ
ということで締めくくっている。
だけど考えてみると我が老化だけが
その原因ではないような気もする。
つまりそれがどの当時、どの時代の
ニュースかがわからなくなるほど
似たような事件が多いことにも
原因があるのではないだろうか。
例えば傷害だとか。殺人だとか。
例えば虐めだとか。自殺だとか。
例えば天災だとか。人災だとか。
つまり人間というのは
どの当時も同じことをしでかして
どの時代も同じことに苦しめられる
因果な生き物だということだ。