2024年07月


競技を見ていると
失敗しないかとか
こけやしないかとか
余計な心配をして
心が疲れてしまう。
だから距離を置いて
この競技あの競技の
経過だけ結果だけを
見ることにしている。
そうすれば勝てば
喜ぶだけですむし
負けても悔しさは
その時だけですむ。
そうやっていつも
四年に一度の競技を
見ることにしている。

だけどそれも最初だけで
日を追っていくうちに
このハラハラドキドキに
参加しないと気持ちが
落ち着かなくなってきて
いつしかいっぱしの
解説者になっている。


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久しぶりに東京の街を歩いた時
ぼくは夏の日のことを思っていた。
思い出はすべて豊洲の埠頭から
荷を積み出していた時のことばかり。
何があったわけではない。
ただ、その毎日の繰り返しが懐かしくて・・・

午後十時に終わる仕事だった。
それから銭湯に通うのだった。
もう人影もまばらで
ぼく一人の石鹸が泡を立てていた。
少しにごった湯船が
ぼくの東京時代のすべてだった。

夏の暑い日々だった。
ぼくはそんな毎日が好きだった。
彼女がいたわけでもなかった。
金があったわけでもなかった。
夢を追っていたわけでもなかった。
これが東京だという出来事もなかった。
ただ、そんな単純な毎日の繰り返しが
ぼくの中で確実に時を刻んでいった。

久しぶりに東京の街を歩いた時
そんな夏の日のことを思っていた。
そしてそんな夏の日の思い出は
ぼく一人の石鹸の香りとして
今もぼくの中を漂っている。


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きみの唇に触れたのは
初めて知った恋なのか
意地を張った夢なのか
幼かった、夏の日に
ぼくはバスの影を見た

静寂の中、気がつくと
一人の女子が心にいた
ありふれた恋だった
中学時代、ぼくは一人
バスを探っていた

きみを乗せたバスが
見えなくなるまで
ずっと目で追っていた
高校時代、そのバスが
ぼくのすべてだった

ここでは恋をしないんだ
と心に言い聞かせて
過去の人を追っていた
東京時代、バスはまだ
ぼくの中を走っていた


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ためいき
さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから

そしていつか見返してやるんだ
あいつも、あいつも、みんなまとめて
あの日のぼくは正しかったんだと
それがぼくの人生だったと

 もう振り返らない 風は追い風だ
 尽きることはない
 もしもつまずくことがあったとしても
 明日のための布石なんだ

疲れたふりなんかやめて
今日から素直に生きていくんだ
ほら明日が笑っているよ
その日の自分が手招きしている

 もう振り返らない 風は追い風だ
 尽きることはない
 もしもつまずくことがあったとしても
 明日のための布石なんだ

さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから




1,
 48歳の時、ぼくの所属していた部署が閉鎖になった。ぼくは専門職で雇われていたため、つぶしが効かないと判断され、リストラの対象となり、そのまま会社を退職することになった。
 それからおよそ一年間、表向きには失業保険をもらいながら、ハローワーク通いをやっていたのだが、その裏では充分に時間が取れるので、『こんなチャンスはない』と思って、エッセイを書いたり、詩を作ったり、歌を作ったりしていたのだった。仕事のない不安や焦りなど一切なく、前向きに生きていたのだった。

2,
 会社を辞める前に、会社側はぼくを自主退職させようとして、色々な工作を仕掛けてきました。この歌は、その時の憤りを詩にして曲を付けたものです。
 この歌を書いてから後は、「所詮その程度の会社だったんだ。辞めて正解だった」と思うようになり、不思議と気持ちも安定し、前述の通り前向きになることが出来たのでした。

3,
 詩の中の「布石」ですが、何も言葉が思い浮かばなかったので、『あしたのジョー』のセリフに出てくる言葉を使わせてもらいました。

4,
 この曲はSoundCloudにも投稿しているのですが、予想外に再生回数が多く、ちょっとビックリしています。聴いてくれている多くの人が海外の方で、この歌詞をどう捉えているのだろうと思っています。 IMG_0986
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昔録りだめておいたビデオに
たまに当時のニュースが
入っていることがある。
そういう時はつい見入ってしまい
ああ、この当時こういうことも
あったなあ、なんて思っている。

ところがこの当時とはいうものの
この当時がどの時代だったのか。
それがいつもわからないでいる。
この年でも、あの年でもない。
さていったいどの年だったのか。
なかなか答が出てこない。
考え出すときりがないので
記憶が曖昧な年齢になったのだ
ということで締めくくっている。

だけど考えてみると我が老化だけが
その原因ではないような気もする。
つまりそれがどの当時、どの時代の
ニュースかがわからなくなるほど
似たような事件が多いことにも
原因があるのではないだろうか。
例えば傷害だとか。殺人だとか。
例えば虐めだとか。自殺だとか。
例えば天災だとか。人災だとか。
つまり人間というのは
どの当時も同じことをしでかして
どの時代も同じことに苦しめられる
因果な生き物だということだ。


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