ぼくが中学生の頃
親戚の家にクリという犬がいた。
横須賀の久里浜生まれということで
その名をつけられたのだった。
お米屋さんやガス屋さんを噛みつくわ
そのくせ不審者が来ても吠えないわ
まったく役に立たないアホな犬だった。
ただ子作りだけは励んでいたようで
彼の死後、親戚の家の周りで
クリによく似た犬を
ぼくは何匹も見たことがある。
ぼくが高校生を卒業する頃
その親戚がロクという猫をもらってきた。
鎖につながれた生活を強いられ
運動不足になっていたらしく
自分の首を掻く足が空振りするほど
丸々と肥えていた。
ロクは人に懐かない猫だった。
もしかしたら自分の飼い主はあくまでも
自分を鎖につないだ前の飼い主であり
自由にしてくれた親戚は、自分の中の
飼い主ではなかったのかもしれない。
ロクとクリはすこぶる仲が悪かった。
ロクは親戚に住むようになってから
鎖でつながれることもなく
家の内外でのびのびと暮らしていた。
一方のクリは人を噛むので
庭の隅に鎖でつながれていた。
クリはその待遇の差が気に入らなかった。
が、そのことを飼い主に訴えることも出来ず
そのストレスのはけ口をロクに向けていた。
とにかくロクの姿を見るとクリは
気が狂ったように吠えまくった。
ロクはというと、そんなクリの感情を
逆なですることばかりやっていた。
クリの目につく所に座ってみたり
クリの耳に届く所で猫なで声を上げてみたり
クリの目の前で飼い主に抱かれてみたり…。
とにかくクリに意地悪しているとしか
思えないような行動をロクは取っていた。
ぼくが二十歳を過ぎた頃
ロクは親戚宅には住んでいなかった。
どうやら家出したらしい。
案外クリの存在がストレスになっていて
それが原因の家出だったのかもしれない。
一方のクリはというと
ストレスの原因が取り除かれたことで
安心したのだろう、それから数年生きていた。 (2010年4月13日)
2024年08月
【詩】ともだち
何を言っても知らんぷりして
したい放題のネコを見て人は
こう思っているのであります。
『無知で身勝手な生き物』と。
畜生扱いのネコだけど、実は
人間の言葉もその人の性格も
社会の動きもこの国の未来も
恐らくは宇宙の仕組みだって
何もかもわかっているのです。
人間と出会った太古のネコは
その能力をさらけ出していた。
人間の話し相手になってくれ
未来を教えたり力を与えたり
願いを叶えてくれたりもした。
ところが人間はそれを利用し
凶暴化してしまった。ネコは
それはダメだと諫めたのだが
何を言っても知らんぷりして
好き勝手をするようになった。
それ以来ネコは人間のことを
こう思うようになったのです。
『無知で身勝手な生き物』と。
そして互いに「この馬鹿」と
横目で見ながら生きています。
赤い糸の話
嫁さんと恋愛関係にあった頃、ぼくたちは何度か別れたことがある。『二度とこんな奴と付き合うものか』と思いながら、ぼくは嫁さんとの距離を置いたのだった。だけど、それで終わることはなかった。何度別れても、ぼくたちはよりを戻し、最終的に結婚まで至ったのだった。
運命の赤い糸なるものがあるらしいが、おそらくぼくたちはその糸に結ばれていて、何度別れたとしても、どんな別れ方をしたとしても、結局はよりを戻すことになるのだろう。
さて、赤い糸で結ばれた人と出会い、運命に引きずられるように結婚する。フィクションでもノンフィクションでも語られるのはいつもここまでだが、ではいったいその後の二人はどうなるのだろうか?人も羨むような幸せな家庭を築くのだろうか?愛情いっぱいの生活を送るのだろうか?
経験から言わせてもらえば、決してそんなことはない。どこにでもあるような家庭を築き、どこにでもあるような生活をするだけだ。もし赤い糸の影響があるとするなら、それは愛情の有無などということではなく、窮屈ではないということだと思う。
とにかく、ほどこうにもほどけない糸で結ばれている二人なのだから、この先も今日が終わって明日が来るというありふれた生活を、二人で続けていくに違いない。 (2021年11月19日)
【詩】台風と床屋
大雨が降る。風が吹く。
台風が接近すると年寄りは
なぜか外に出たがるものだ。
ところが年に一度の悪天候で
今日は患者は来ないと踏んだ
行きつけの病院は臨時休業だ。
行き場をなくした年寄りは
いちおう看板回している
床屋を見つけてはたむろする。
おかげで床屋は大忙しだ。
年に一度の大忙しだ。
加齢臭が来る。金が来る。
隣の町の噂話
福岡県に芦屋という地名がある。兵庫県の芦屋と違って、ここは市ではなく町である。
歴史や茶の好きな人は「芦屋釜発祥の地」、ギャンブルの好きな人は「芦屋競艇」のある所、と言えばお分かりいただけるだろう。
ここは昔から異質な場所であったと聞いている。古くは「芦屋道満」と密接な関係があったと言われているし、当時兵庫県の芦屋は筑前芦屋の出先であったとも言われている。
また、ここには「芦屋念仏」なるものがあったと伝えられている。そういえば、今でも芦屋は人口のわりにお寺が多くある。これもその言い伝えの裏づけになるのだろうか。
さて、その芦屋には城山という小高い山がある。高貴な方の陵だとか、古戦場だったとか、いろいろな説がある。霊能力のある人は、そこに行くと「何かを感じる」と言う。
地元の年寄りの話によると、そこに家を建てたりすると、その家は必ず滅びるらしい。とにかく、芦屋は、その歴史の古さから、いろいろな伝説を抱えている場所である。
ぼくが小学6年生の頃だった。ある話題が学校中を駆け巡った。その話題とは、芦屋で起きたある事件の話である。
ある雨の降っている夜のこと、芦屋町内のバス停に一人の女性が立っていた。
運転手はそれを見つけ、バスを停めた。
女性がバスに乗ってきた。
他に2人のお客がいたので、女性を含めると、バスの中のお客は計3人になった。
途中で2人が降りた。
運転手は「残りはあと一人、あの女性だな」と思って、ミラーを見た。
バスの中には誰も乗ってなかった。
そのせいで、そのバスの運転手はノイローゼになった。
──というものだ。
この話は有名な話で、ぼくが高校に上がった時、友人にこの話をしたのだが、みなその話を知っていた。まあ、地域によって、天候やお客の人数やその後の運転手がどうなったかというのは違っていたのだが、その事件があったのは、みな一様に芦屋であった。
ぼくは社会に出てから、頻繁に芦屋を訪れている。が、行くたびにその話が蘇ってきてしまう。バス停を通り過ぎる時には、いつも「誰も立っていませんように」と祈っている。(2002年8月14日)