2024年10月

1,
 前にテレビで見たのだが、小笠原村に住む人たちは、ポリネシア人系の子孫が多いのか、ハワイやトンガの人のように見えた。もし小笠原村というテロップが出てなかったら、ぼくは南洋の島の人の特集をやっていると思ったことだろう。

 日本民族はいろんな所から流れてきた民族の結合だから、例えば欧米人系の顔もあれば、タイ人系や韓国人系の顔もあるわけだ。だからポリネシア人系の顔がいてもおかしくはない。きっとテレビで見た小笠原村の人たちは、南洋から流れてきた人の子孫なのだろう。もしかしたら、それはムー大陸の子孫を意味するのかもしれない。

2,
 ユダヤ人と日本人の祖先は同じだという。欧米人の中には「日本にはユダヤ人の顔をした人が多くいる」と言っている人がいるくらいだ。

 では、彼らの言う「ユダヤ人系の顔」とは、いったいどういう顔なのだろう。具体的に「こういう顔だ」というのを教えてほしいものだ。いちおうぼくは「岸田前首相みたいな顔ではないか」と思ってはいるのだが、どうだろう?

3,
 ぼくはいつも「自分は何人の子孫か?」というのを考えている。以前沖縄に行ったとき、現地の人からウチナンチュに間違えられたことがある。それがきっかけになった。

 そう見えるんだから,本当に沖縄の人の子孫ではないかと思って色々調べてみたのだが、両親の祖父母の出身地は、筑前、長州、阿波、美濃で、各々が土着の人だったらしい。ということで沖縄出身の祖先は一人もいない。今も沖縄には親戚はいないし、加えて苗字も沖縄らしくない。

「では、なぜ沖縄の人に間違えられたのか」というのを考えてみた。それで得た答は「自分の顔は縄文人の顔をしている」ということだった。沖縄の人も縄文人の血を引いていると言われているから、きっとどこかで血が繋がっているのだろう。

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1,
高いビルに登って景色を見ると
目の前に現れるのは、
空と雲と遠くの山の影ばかり。
牧歌的な雰囲気には浸れるものの
昔憧れた都会の窓が見えない。
街を映し、並木を映し、
行き交う人の顔を映す、
そんな都会の窓が見えない。


2,
都会の鳥はカラスなんだと
いったいだれが決めたのだ。
メジロとかウグイスなどの
野鳥もやってくるんだから
カラスなんて言わないでほしい。
都会の象徴はゴミだと言って、
それをエサにするカラスを
都会の鳥だと決めつけたのか。


3,
都会の裏側は古い木の香りが漂う。
都会の裏側は醤油の染みたにおいがする。
都会の裏側はほのかに樟脳の臭いもする。

都会の裏側はいつも猫が主役で、
都会の裏側はいつも猫が寝ていて、
都会の裏側はいつも猫が笑っている。

都会の裏側は自転車がキーキー息をする。
都会の裏側は自転車がパンパンはじけている。
都会の裏側は自転車がリンリン鳴り響く。


4,
都会の子供は駆けっこをしない。
都会の婆さんは駆けっこをする。

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 今のマンションに住み始めて10年ほど経った頃からだったか、真夜中(午前2時か3時頃)に「ピーンポーン」というインターホンのチャイムの音が聞こえるようになった。
 同じ夜中でも12時前後なら、「誰だこんな時間に、非常識な」と怒りを覚えるのだが、時間が時間だ。それはそれは怖くて、一度は寝たふりを決め込んだ。しかし二度三度と鳴るもんだから、放ってはおけない。ぼくは恐る恐る玄関まで行き、そっと覗き窓から外を見てみた。ところが誰もいない。
「おかしいなあ」と、勇気を振り絞り扉を開けてみた。結局誰も見当たらず、ぼくは布団に戻ったのだった。

 それから年に一度二度、真夜中の「ピーンポーン」が鳴るようになった。何年か後の二月のこと、ちょうど上の詩を書いた頃だ。その年初めての『真夜中ピーンポーン』が鳴った。
 その日は風が強い日だった。と、ぼくはその時気がついた。その前に『真夜中ピーンポーン』が鳴ったのは秋で、その日は台風だった。

 もしやと思い、同じマンションに住む方に、
「真夜中にチャイムが鳴りませんでしたか?」
 と聞いてみた。すると、その方は、
「鳴りました。時々なるんで気持ち悪くて」
 と言った。

 それで合点がいった。「ピーンポーン」とチャイムを鳴らすのは風だったのだ。後に調べたら、強風の影響で呼び鈴が反応することがある、ということがわかった。
 一応これで安心したのだが、やはり『真夜中ピーンポーン』は気味が悪い。
 そのせいかどうかはわからないが、マンション全体のインターホンを取り替えることになり、昨年その工事が終わった。
 とりあえずそれ以降、『真夜中ピーンポーン』は鳴ってない。

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1+1は絶対に2だと言う人がいる。
必ずしも2にはならないと言う人がいる。
どちらも必死で、
なかなか自説を曲げようとはしない。
そんなことに興味のないぼくは、
いつもそのやりとりを見て笑っている。

それが癇に障るのか、
「じゃあ、あんたはどう考えるんだ」
と二人して絡んでくる。
元々興味がないわけだから
そんなことを考えたことすらない。
だからいつも
「おれにはわからん」と逃げていた。

ところがあまりにしつこく聞いてくるので、
ある時思わず
「1+1は1+1だ」と答えてしまった。
すると論敵は二人して、
『またあんたはいらんことを言う』
といった顔をしてぼくを見た。
実はその答こそが論敵二人の、
究極の妥協点だったらしいのだ。

ということで論敵二人は、
再び必死に自説を唱えながら、
新たな究極の妥協点を探している。

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 最近小説を読んでない。
 若い頃はいろいろな種類の小説を読んでいたが、30歳を過ぎた頃から歴史小説しか読まないようになってしまった。面白い小説があれば、ジャンルにこだわらずに読んでみたいと思っているのだが。

 歴史小説は、歴史の勉強になるというのがもちろんあるが、何よりもいいのが自分がその人になりきったり、その時代の中で遊んだりすることができるという点にある。
 例えば司馬遼太郎の『坂の上の雲』でいえば、203高地を攻めた時、乃木大将は作戦ミスから何万人もの兵隊を死なせているが、自分が乃木大将なら、もっと人を死なせないようなこういう作戦をとる、などと考えていたものだ。
 また江戸が舞台の小説などを読んでいると、自分がその時代に生きているような気分になる。

 こんなふうだから、読む時間もけっこうかかる。人の倍はかかっているのかもしれない。
 以前読んだ『項羽と劉邦』はたった3巻なのに2ヶ月の時間を要したものだった。この時も、「自分が劉邦なら・・・」という読み方をやっていた。「この時代の中国のトイレはどうなっていたんだろうか?」などと、余計なことも考えていた。

 さて、ぼくが本を読み始めたそもそものきっかけは、大山倍達の自叙伝を読んだことにある。
 その中に「人には一冊の本との出会いがある」というようなことが書いてあった。大山倍達にとっての一冊の本は、吉川英治の『宮本武蔵』だったという。
 それを読んだ時ぼくは、「自分にとっての一冊の本とは何か?」と考えた。しかし、当時はそんなに本を読んでいなかったので、そういう本は存在しなかった。「じゃあこれから探してやろうじゃないか」と思い、ぼくの読書人生が始まった。

 しかし、一冊の本はそうそう見つかるものではない。小説・ビジネス書・思想書哲学書・宗教書・マンガと、ありとあらゆる本を読んだがその答は出てこない。読書を始めて10年ほどは、そんなことばかり意識して読書をしていた。

 四十代の頃だったろうか、ある本を読んでいると、「人には一冊の本が備わっている」ということが書いてあった。それを読んでハタと思った。
「そうか、今まで一冊の本を探していたけど、自分にとっての一冊の本とは一生のうちに読む全部の本のことだ」
 そういえば、ぼくは本を探す時、前に読んだ本で紹介されたものや、その本に関連あるものを探している。そう、全部繋がっているのだ。今日読む本が、「一冊の本」の中の一部というわけだ。
 そのことを悟ってから、ぼくは「一冊の本」というのにこだわらずに、読書を楽しむようになった。しかし、ぼくの「一冊の本」というのは、実に膨大な量である。

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