カテゴリ: エッセイ

 知人の家にリックという、オスのミニチュアダックスがいる。かなり前から飼っていて、人間の歳にするともう七十歳を超えているという。なるほど目は白内障になっていて、歩きもヨタヨタしている。

 ところがそのリック君、そんな体になってはいてもあちらの方は元気な様子で、何かにつかまっては必死に腰を振っている。それが原因なのだろうか、ヘルニアにもなっているという。

 そういえばこのリック君、ずっとお座敷で飼ってきたせいでメスとの接触がまったくなく、この歳まで童貞で通してきたらしい。そのせいかもしれないが、お気に入りの対象がちょっとずれている。

 申し訳ないけどリック君、ぼくの脚はメスではないんだよ。
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遠くでカンコン、
踏切警報機が鳴っている。
いつの頃からだろうか、
夜中の警報機は、
犬の遠吠えのように
むなしいものになった。

むかしはカンコンに旅情を誘われ、
いつも夜汽車の中にいる自分を
想像していたものだった。
ところが、
この時代は夜汽車がない。
味気のない新幹線が
企業人の時間帯に合わせて
行ったり来たりしているだけだ。
夜中に停車駅で買う
ほの温かいワンカップの楽しみも
今はなくなった。

遠くでカンコン、
踏切警報機が鳴っている。
いつも春になると、
どこかに行ってみたいと思う。
だけど、味気のない現実が、
旅への期待を拒んでしまう。
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 中学の頃フォークブームというものがあった。例えば吉田拓郎さんの『イメージの詩』のように、自分で言いたいことに曲をつけて語る、という新しいスタイルが登場したのだ。
 そういうブームに触発されて、曲はともかく、言いたいことを書くだけなら何とかなるだろうと、ぼくは言葉の挑戦を始めた。それがようやく形になり始めたのが、高校一年の夏頃だった。

 言葉が書けるようになると、今度は欲が出てきて曲に挑戦したくなった。そのためにはギターが必要だと思い、その年の秋、親戚に頼んで古いギターをもらった。
 楽器といえば、ハーモニカやリコーダーくらいしかやったことがなく、ギターは初めてだった。ぼくはさっそく教則本を買ってきた。それでコードやストロークなどの基本を学び、当時流行っていたフォークソングのギター伴奏を耳コピするなどして、必死に練習した。その甲斐あって、高校二年の夏には、そこそこの演奏が出来るようになった。

 ギターを練習する合間に曲作りもやっていたのだが、こちらはなかなか進歩が見られなかった。ようやく「これは!」という曲が出来たのが、高校二年の春休みだった。曲が出来たというより、曲が落ちてきたと言った方が正しいだろう。そんな体験をしたことがなかったので、その時すごく興奮したのを覚えている。
 譜面の書けないぼくは、その曲を忘れないように、さっそくラジカセに録音したのだった。
 ここからぼくの、言葉をつま弾く旅が始まった。
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 幼い頃から、遠い灯りを見ると、何か惹かれるものがあった。心がウキウキしてきて、夢や希望がふくらんでくるんだ。ところが昼間そこに行ってみると、別に大したところではなく、パチンコ屋のネオンだったり、カラオケ屋の看板だったりする。

 そういえば人生のイベントだって、同じようなものだ。そこにたどり着くまでは、遠い灯りを見るように心を弾ませているのだが、着いてしまうと何のことはなく、そこには日常生活が待っているだけだ。

 たとえば修学旅行がそうだった。行くまでは何かと心がウキウキして、期待に胸をふくらませたが、ふたを開けてみると何と言うことはない。最初のうちこそ気も浮かれているが、そこにいるのはいつもの友だちや先生なので、そのうち浮いた気分も吹き飛んでしまった。「つまりは場所を変えた学校生活じゃないか。そんな中でいったい何を期待していたんだ」などと考えて、一人興ざめしていたものだ。

 たとえば成人する時がそうだった。それまでは二十歳になると、何かが待っているような気がして、心がワクワクしていたものだ。それでもって期待に胸を弾ませながら、二十歳の時を迎えるわけだ。いちおうその日は周りが祝ってくれたけど、その日を過ぎると何のことはない、それまでの生活の延長が待っていただけだ。

 遠い灯りはあくまでも遠くの灯りであって、決して足下を照らしてくれるわけではない。とはいうものの相変わらず、ぼくは遠い灯りに憧れて、今でもウキウキワクワクしているんだ。
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