カテゴリ: 日常


基本は土を踏むのと何ら変わらないのですが、
それを踏んだとたん、
それまでの環境が一変してしまうものなのです。
そのことを見聞きした友だちからは馬鹿にされ、
あげくに好きなあの子に暴露され、ついには
「変なあだ名をつけられるのではないか・・」
といらぬ心配をしなければならなくなるのです。

元はといえばあたりかまわずウンチをしまくる
ノラ犬たちが悪いわけなのですが、
ウンチを踏んだという運命に思い悩んでしまい、
「普段の行いが悪かったのではないか・・」
と自分自身に反省を促したり、
「何でこの世に生まれてきたんだろう・・」
なんて自己嫌悪に陥ることだってあるのです。

おかげでその日一日は、
まるで人格を否定されたような憂鬱な気分で、
人生を過ごさなければならないのであります。


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今日は仕事を三十分早く終え、
急いで家に帰ってきたのだが、
野暮用で時間を費やしてしまい、
結局風呂に入る時間はいつもと同じで、
まったく新鮮味のない夜を送った。

しかし考えてみれば、
たかだか三十分早く帰ったくらいで、
どんなすばらしい世界が待っているというのだ。
所詮はいつもの生活の上に、
ちょっと時間が乗っかっただけの話で、
別にその時間に特別な楽しみが
用意されているわけではないのだ。

今夜みたいに、
時間にふられて損した気分になるくらいなら、
ありもしない「特別な時間」なんか期待せずに、
その生活の中に楽しみを見いだすほうが、
よっぽどいい。
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意欲なんて持たないほうがいい。
意欲を持って事に当たろうとすると、
いい仕事をしてやろうなどという
余計な我が入ってしまうから、
いい仕事が出来なくなってしまう。

たとえば文学とか音楽とかがいい例で、
意欲作などというふれこみの作品ほど
つまらないものが多く、
逆に気負いのない無欲な作品にこそ
いいものが多い。

ところが文学とか音楽なら
そのへんの呼吸がわかるくせに、
いざ仕事になると
わからなくなってしまう人が
多くいるから困ったもので、
そういう人が社会をよくしてやろうと
意欲的に取り組むものだから、
世の中おかしくなってくる。

意欲に感化された人や、
意欲にウンザリした人が、
意欲に振り回されたあげくに、
仕事の質を落としてしまう。

この国にある落ち着きのなさも、
何かしっくり来ないシステムも、
おそらくそこからきているのだろう。
確かにいい作品ではない。
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ボーッとしている時
どうでもいいようなことを
想像することがある。
こぶとり爺さんのこぶをとったのは
鬼ではなくて、実は
大門未知子だったのではないか、とか。

ボーッとしている時
どうでもいいようなことを
考えつくことがある。
通気性のないガラスの靴を履き
踊りまくったシンデレラの足は
きっと臭かったに違いない、とか。

ボーッとしている時
どうでもいいようなことを
発見することがある。
車を走らせている時にすれ違う
軽トラの運転手の多くは
お年寄りである、とか。

ボーッとしている時
どうでもいいようなことを
思うことがある。
大谷選手がチームメイトと
笑ったりじゃれ合ったりしている。
なーんだ通訳なんかいらんやん、とか。

ボーッとしている時
どうでもいいようなことに
出くわすことがある。
トイレで手を洗っていると
黒い影がトイレに入っていったのに
中には誰もいない、とか。

ボーッとしている時
どうでもいいようなことが
頭をよぎることがある。
ボーッとしている時の
どうでもいいようなことを
詩の題材に出来ないか、とか。
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朝起きて八割のマイナスを見る。
どこかで八割のプラスを見ないと
今日一日の採算が取れない。
そこで心がすがすがしくなる
先人の本を読んだり
ちょっとしたクスッを得られる
マンガの本を読んだりして
足りないプラスの補給をしている。
毎日毎日がこの繰り返しだ。
国内や海外の情勢だとか
それに伴う記者の正義だとか
あまり見るものではないな。
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