カテゴリ: 過去ログ選


1978年4月の上旬のことだった。
キャンディーズの解散コンサートを
テレビでしっかり目に焼付けてから
桜前線を追うようにぼくは上京した。

東京で新幹線から中央線に乗り換え
降りた駅が当時国電の新宿駅だった。
この街がぼくの東京デビューとなる。

一度も来たことのない街だったのに
まったく違和感を感じなかったのは
東京での生活の中心がこの街になる
という潜在的な予感があったのかも。

『迷い道』や『悲しき願い』が流れ
歌に乗りキャッチセールスが現れた。
そのしつこいセールスたちをかわし
地下道に降りてぼくは丸井に入った。

地下の入口は女性の下着売場だった。
ぼくは生まれて初めてボディスーツ
という水着みたいなものを目にした。
ファッションにまったく疎いぼくは
「東京の女性の間ではこんなものが
流行っているのか」とその窮屈げな
水着みたいなお召し物を眺めていた。

その日は晴れ上がった日曜日だった。
新宿の街には多くの人が歩いていた。
そこですれ違う女性の姿を見ながら
「なるほど窮屈そうに歩いているな」
心の中でぼくはニヤリと笑っていた。


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昔録りだめておいたビデオに
たまに当時のニュースが
入っていることがある。
そういう時はつい見入ってしまい
ああ、この当時こういうことも
あったなあ、なんて思っている。

ところがこの当時とはいうものの
この当時がどの時代だったのか。
それがいつもわからないでいる。
この年でも、あの年でもない。
さていったいどの年だったのか。
なかなか答が出てこない。
考え出すときりがないので
記憶が曖昧な年齢になったのだ
ということで締めくくっている。

だけど考えてみると我が老化だけが
その原因ではないような気もする。
つまりそれがどの当時、どの時代の
ニュースかがわからなくなるほど
似たような事件が多いことにも
原因があるのではないだろうか。
例えば傷害だとか。殺人だとか。
例えば虐めだとか。自殺だとか。
例えば天災だとか。人災だとか。
つまり人間というのは
どの当時も同じことをしでかして
どの時代も同じことに苦しめられる
因果な生き物だということだ。


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 前の会社にいた頃の話。昼食後、ぼくはいつも自分の車の中で寝ていたのだが、そこで時々不思議なことが起きていた。何者かが車内で横になっているぼくのお腹の上に乗り、ドンドン飛び跳ねるのだ。
『誰だ!?』と目を開けても誰もいない。おかしいなと思いながら目をつぶると、しばらくしてからまた飛び跳ねる。おかげでゆっくり昼寝が出来なかった。

 ところで、かつてぼくのいたその会社は、いつも水に祟られていた。プロの水道屋さんが水道管を破ってしまって、社内の床が水浸しになったとか、専門業者が来て消火栓を点検していると、なぜかホースが外れて天井から水が降ってきたとか、とにかく普通では考えられない水の事故がしょっ中起きていた。

 昔からその地に住んでいる人に聞いてみると、そこは元々池があって、その会社が建つ時にすべて埋めてしまったということだった。池にしろ川にしろ、元々水場だった場所は、不思議と水を呼ぶものなのだ。それはそこに棲みついている『何者か』が、奪われた水を呼び寄せているからだ。

 さて、冒頭のぼくの腹の上で暴れる『何者か』だが、その水を呼び寄せている『何者か』と同一のものではないのだろうか。同じ場所に『何者か』が二ついるとは考えにくいからだ。
 では、その『何者か』とは何者なのか?ぼくはそれを『河童』だ思っている。もともと河童伝説のある地域だし、あながち外れではないのではないか。


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・・・あの男が誘ってきたのよ。いやに馴れ馴れしく近寄ってきてね。
わたし断ったわ。だって興味なかったんだもん。
ところが彼、何度も何度も誘ってくるのよ。最後には泣きだしてね。
それで、一回だけならということで受け入れることにしたの。

どうでもいいことだけど、彼、わりと淡白だったわ。その淡白のイッた顔を見たときね、なぜかわたし、彼がおいしそうに見えたの。それで食べたくなったわけ。きっとタンパク質を連想したんだろうね。

彼が二度目をやるのはわかっていたわ。そこで、彼が入ってくるタイミングを狙って、頭からガブリとやってやった。
これで終わったと思っていたら、彼、まだ腰を振っているの。ヘンでしょ?もう頭がないのによ。
あまりに気持ち悪かったんで、わたし全部食べてやったわ・・・

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      (現場検証中の容疑者)

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三十代の前半だったか、足繁く
飲み屋に通った時期がある。
思い起こせば不機嫌な生活を
強いられた時期だった。
とにかく毎日がうつむき加減で
首や肩のこる毎日だった。

足繁く飲み屋に通ったのは、そんな
不機嫌で肩や首のこる生活から
少しの時間でも逃げ出したいという
一心からだった。

飲むとぼくはいつも饒舌になった。
顔見知りの人、初対面の人、
そんなこと関係なく、とにかく
酔いの中に人を見つけると
ぼくは大いにしゃべり続けた。
その饒舌に乗せられて、数々の
迷言が口から滑り出たものだった。

そんな迷言の中の一つに
「青春とはインキンの痒みである」
というのがあった。
どういう経緯からその言葉が
出たのかは憶えてないが。
これがウケにウケたのだった。
その辺にいたおっさんたちが口々に
「その通り!」と賛同する。

きっとその時そこにいた人たちは
ぼくと同じく、不潔で臭く
痒く痒くしつこく痒く、また痒く
掻きすぎて痛く、痛くて痒く・・
地獄のような青春を送ってきた
優しい男たちだったのだろう。


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