カテゴリ: 歴史で遊ぶ


劉邦は項羽との戦いで
たったの一勝しかしてない。
だけどこのたったの一勝が
彼を皇帝へと導いた。
勝ち続ける人生は、確かに
気持ちいいものかもしれない。
とはいえ負け続けの人生だって
決して悪いものではない。
夢さえ捨てなければ
いつかは劉邦の道を
歩めるかもしれないのだから。

項羽は劉邦との戦いで
たったの一敗しかしてない。
だけどこのたったの一敗が
彼の命取りとなった。
とはいえ彼は人生に
負けたわけではない。
虞美人という永遠の恋人を得て
伴に最期を遂げられたのだから。
恐妻家の劉邦が晩年幸せだったとは
どうしても考えられない。一度は
項羽を羨んだのではないだろうか。


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私は、
「人類の長い歴史の中に
今とはまったく違う科学や法則があって
それに則った文明があったのではないか。
いや、そう考えるほうが自然だし、
そうでないと地球は面白くない」
と考えているのであります。

私は、
「ピラミッドもそういう文明の要求のもとに
建てられたもので、そこに宗教を絡めてみたり、
王家の墓にしてみたりするのは、実はその当時の
科学や法則が失われてしまったからであって、
わからないから一応そうなっているではないか」
と考えているのであります。

私は、
「あれは何かのシステムの一環ではないのか。
もしかしたらもっと生活に即したもの、
例えば肥えた土地を作るための装置だとか
例えば良質の農作物を作るための装置だとか
例えば大がかりな空気清浄機かもしれない」
と考えているのであります。


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 昔読んだ佐治芳彦著の「日本人の歴史」という本に、面白いことが書いてあった。
 日本の歴史の分岐点は、「応仁の乱」になるのだそうだ。内藤湖南が唱えた説なのだという。

 応仁の乱以降が今の日本の文化や生活に直接繋がる歴史であり、歴史を研究するなら、応仁の乱以降を研究したら充分である、と言う。
 さらに、公家中心のそれまでの歴史というのは外国の歴史と同じようなものであるから捨ててもいいとまで言っている。

 そう言われればそうだ。たしかに、応仁の乱以降は庶民の歴史である。それ以前に秀吉のような庶民出身の為政者はいないし、写楽のような庶民の芸術家はいない。
 そのことをこの本では、「下克上」が生んだといっている。そして今もその風潮は続いていると言っている。まあ、芸能界などを見たらそう思えることはある。

 それともう一つ、下克上が生んだものがある。それは女性の地位である。実は、室町末期は女性の地位が高かったらしいのだ。

 以下は、当時のヨーロッパ宣教師が見た日本人だ。
 「財産について、ヨーロッパでは夫婦間で共有であるが、日本では夫婦各々が自分のわけまえを所有しており、時には妻が夫に高利で貸し付けていた。」
 「離婚については、ヨーロッパでは夫のほうが妻を離別するが、日本はしばしば妻が夫を離別する。」
 「また、ヨーロッパでは妻は夫の許可なしに外出出来ないが、日本は夫に知らせず自由に外出出来る。」
 ということである。

 今とあまり変わってないやん。うーん、下克上おそるべし!
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 魏国を出発した調査員は、九州にたどり着いた。
 彼は、そこの住民に尋ねた。
「ここはなんという国であるか?」
「国だと?そげなもんなか」
「ここは国ではないのか。では、何という地名であるか?」
「ここか、ここはヤマトたい!」
 住民が早口で言ったため、彼には『ト』の音が聞き取れなかった。
「えっ、ヤマッタイ?」
「そうたい!」
 彼は聞こえるままに
『邪馬台』と記し、『国』を書き加えた。
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 今から数千年後、今の歴史を失った後の話である。

 ある考古学者が、我々の時代の地層を調べていた。
この学者は以前、その地層から偶然民家跡を発見し、そこから発掘された茶碗や湯呑を見て、この時代も縄文や弥生と同じく土器を中心とした生活が営まれていたとして、「陶磁時代」と名づけた有名な学者であった。

「なんだこの鉄の線は?」
 見ると、二筋の鉄が道のように張り巡らされていた。その後も、その鉄の道は日本中いたるところで見つかった。
「先生、何でしょうか、この鉄の道は?」
「うん、私が見たところ、これは城壁の跡だと思われる。おそらく外からの侵入を防ぐためのものだ。」

 翌日の新聞は大々的に発表した。
「あの鉄の道は、古代の城壁の跡だった!」と見出しの打たれた記事には、「この張り巡らされた鉄の道を見れば、その当時日本がいくつもの国に分かれていたことがわかる」と書かれていた。
 このことは学会に発表され、その後定説になった。かくて我々の時代は、JRや私鉄の線路の発見のせいで、卑弥呼の時代と同じ扱いとなってしまった。

 さて、その後その考古学者は、札幌とと東京と名古屋と大阪と福岡に屋根付きの巨大な広場を発掘した。
「おお、これは古代の宗教の祭祀場に違いない。ここは神聖な場所だ。おそらくその当時の日本は大きく分けると五つの国に分かれていたのだろう。そして、その国の首都にはこういう大きな祭祀場がある、ということがわかった」
 かくて、ドーム球場は、その学者のせいで宗教の場とされてしまった。
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