今日は休みだったのだが、特にすることもなく、昔の日記なんかを読んでいた。
まったく、ろくなことを書いてない。
『よくこんなくだらんこと考えていたなあ』と思えるものばかりだ。
これでは“古い日記”というコンテンツを作ることはできない。
それはそうと、古い日記を見ていると、たまに「おっ!」ということが書いてある。
なんと、昭和54年の今日、バイト先で中原理恵に会っているのだ。(会ったというより、見たといったほうが正しいだろうが)
昭和54年、ぼくは東京の新宿丸正というところでアルバイトをしていた。
“東京ララバイ”がヒットした翌年だから、まだまだメジャーな人だった。
別にイベントがあったわけではなく、そこに買い物に来ていただけだった。
その日の日記には、
“「中原理恵が店に来ている」というので店内に行った。レジのところにジーンズをはいた痩せた女が立っていた。Kに「あれか?」と聞くと、「おう」と言った。「なーんか、ただのねーちゃんやん」とぼくは思った。・・・”
と書いてある。
そういえば、東京にいた頃、芸能人を何人か見たことがある。
御茶ノ水駅前で、中谷一郎(水戸黄門の風車の弥七役の人)を見たのが最初だった。
次が、宍戸錠だった。
その頃、女子プロ野球の「ニューヤンキース」というチームがあった。
女子プロ野球とはいうものの、別にそういう機構があったわけではなく、芸能人チームやプロ野球OBチーム相手に野球をやっていただけだ。
フジテレビがやっていたチームで、のちの“おニャン子クラブ”の野球版と思ってもらったらいいと思う。
その「ニューヤンキース」にぼくの知り合いが所属していた。
「今度出場するから、しんたさんも見に来て」と言われ、神宮球場まで見に行ったのだが、その時の相手が「日活OBチーム」だった。
神宮球場で開場待ちをしている時に、ほっぺたの大きな人がぼくたちの横を通り過ぎていった。
それが錠さんだった。
中原理恵を見た少し前、たしか7月だったと思う。
凄い人を見た。
それも50センチ位間近で。
その日の昼食後、代々木の街を歩いていると、反対方向から一人の男性が歩いてきた。
ちょっと背の低い人だった。
すれ違う時、横目でその人を見たのだが、それこそ「ちかっぱ、いい男」なのである。
その人は車道に降り、停めてあったサバンナRX7に乗り込んだ。
いっしょにいた友人に「いい男やったのう。芸能人かのう?」と聞くと、「見てなかった」ということだった。
『誰だろう?』と思いながら歩いていると、その辺にたむろしていた女の子たちが、「かっこよかったねえ」「映画のロケだって」「やっぱりRX7だったね」などと言っている。
そういえば、その日代々木で“太陽を盗んだ男”のロケをやるといっていたのを思い出した。
『・・・ということは、あの人はジュリー!』
沢田研二といえば、前に日記にも書いたが、ぼくのヒーローの一人だ。
それから数ヶ月の間、ことあるたびに「おれ、ジュリーに会った」と触れ回っていた。
今でも、その時の状況やジュリーの顔をしっかりと覚えている。
その後も、岩崎宏美や仁科明子のお母さんや作家の田中小実昌などを見たが、ジュリーほどの衝撃は受けなかった。
東京に住んでいた頃、有名人を見たのはそのくらいだったか?
もっと見たような気がしたのだが。
それでも、東京に行く前の20年間に見た有名人の数よりは多い。