頑張る40代!

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長嶋退任

ふーん、長嶋退任か。
ま、巨人ファンじゃないぼくとしてはどうでもいいことなんだけど。
あの人は監督やるより、テレビに出てボケまくっていたほうがいいと思う。

それにしても、ぼくが小学生の頃、小学校の図書室に「日本の偉人 長嶋茂雄」という本があったが、あの人は偉人なんだろうか?
一流の野球人だとは思うが、偉人といわれると、どうも。
同じ日本の偉人シリーズに「豊田佐吉」や「野口英世」などがあったが、そういう人と一緒にしていいんだろうか?

小学校3年の時だったか、月刊誌「少年」に長嶋茂雄のブロマイド式ソノシートが付いていた。
BGMを流しながら、長嶋が語るというものだった。
天覧試合の話や、ホームランを打って1塁ベースを踏み忘れてアウトになった話をしていた。が、球場に一茂を忘れて帰ったとか、同じ足に靴下を重ねて履き、片方を探し回った、などという話はなかった。

巨人の星”で、王が阪神戦で頭にデッドボールを受け乱闘になるシーンがあった。
その時、その乱闘の中に長嶋の姿がないのを見て、星飛雄馬は「長嶋さんはなんと冷たい人なんだ」と思った。乱闘が収まり、次のバッターの長嶋はホームランを打った。星は「長嶋さんは燃えていたんだ」と言って感動していた。
それは少し違うと思う。
長嶋の頭の中には、王のデッドボールのことなんかなかったと思う。
打席に立った時、1塁ランナーが王じゃなかったので、「あれ?ワンちゃんどうしたのかな?」と思っていたに違いない。
ぼくは、実際そのシーンをテレビ中継で見たが、その時長嶋は普通の顔をしてバッターボックスに立っていた。どう見ても、燃えている顔ではなかった。
ホームランはたまたまでしょう。

ぼくが初めて長嶋を生で見たのは、小倉球場で“さよなら西鉄ライオンズ”を見に行った時だった。
ぼくは大の西鉄ファンだったが、あいにく席が3塁側しか空いてなかったのでしかたなくそこに座った。
試合前、背番号3がうろうろしていた。
試合中も背番号3はベンチから出たり入ったりしていた。
落ち着きのない人だなあと思ったものだ。

長嶋が引退した日、ぼくは富士急ハイランドにいた。
昭和49年10月14日、その日は高校の修学旅行二日目だった。
遊園地で一通り遊んでからホテルに戻ると、ロビーに人垣ができている。
「何だろう?」と思い、見ている人に聞いてみると、今長嶋が引退の挨拶をしているということだった。
ちょうど、その時あの名ゼリフ「巨人軍は永遠に不滅です」というのが聴こえた。
しかし、部屋に戻ってから誰の口からも「長嶋」は出てこなかった。
そんなことに関心がなかったのだろう。
みんなの関心事は、ぼくを脱がせることだったのだから。