ついに始まった。
でも、これを戦争と呼んでいいのかどうか。
「ビンラディンの乱」とでもしておいたほうが、いいんじゃないのか。
「タリバーン征伐」でもいい。
とにかくこれは、前世紀の戦争とはまったく異質のものだから、将来のためにも軽々しく「戦争」という言葉は使わないほうがいい。
そうしないと将来、何でもかんでも「戦争」という言葉を使うようになるだろう。
例えば、「70年安保闘争」も「70年戦争」、三島由紀夫の事件も「市ヶ谷戦争」、オウムの地下鉄サリン事件も「東京地下戦争」となるだろう。
特に教科書は執筆した時代を反映するものらしいから要注意だ。
子供達は「なんだ、昔は戦争ばかりやっていたんじゃないか」となり、自虐史観から「私たちの先祖は、過去地下鉄で戦争しました。二度とこんなことは起こしませんから」などと言うようになるだろう。
朝日新聞も調子に乗って、「あの時地下鉄には多数の在日韓国人が乗っていた。それを狙ったものと考えられる」などと社説に書くだろう。
それを見た近隣韓国は「あの時、地下鉄に在日同胞が乗っていたので、日本野郎は戦争をしかけたんだ。アイゴー。賠償金よこせ」と訴訟を起こす。
政府がいくら「あれは、一宗教団体のテロだったんだ」と言っても、「教科書には戦争と書いているじゃないか。どうして在日同胞を狙ったと書かんかっ!!」と声を荒げるだろう。
結果として時の首相は、「わが国は過去3度にわたり、韓国に多大な迷惑をおかけしました・・・」と謝罪外交に走るだろう。
今回の「戦争」は「桃太郎の鬼退治」と何ら変わらない。
アフガンにいる鬼を、桃太郎(アメリカ)とそのお供が成敗に行くだけのことだ。
新しい戦争でもなんでもない。
日本には古くからある話なのだから。
ところでその際、日本はどの動物に喩えられるのだろうか?
武力を行使するわけではないのだから、犬・猿・雉のどれにも当てはまらない。
後方支援なのだから、きび団子を作って桃太郎を送り出した「おじいさんとおばあさん」といったところか。
ということで「戦争」という言葉はふさわしくない。
やはり「ビンラディンの乱」や「タリバーン征伐」などと言ったほうがふさわしい。
いっそ、「米太郎の鬼退治」とでも呼ぶか。