頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

幸せの行方

「はー」とため息をつくと、「幸せが逃げるよ」とよく言われる。
一理あるが、さて、その幸せはどこに逃げるんだろうか?
そしてその幸せを取り戻す方法はあるんだろうか?

幸せとはその人の心の持ちようだという。
「貧乏であっても幸せと思っている人は幸せだし、金持ちであっても不幸せと思っている人は不幸せだ」
幸せを語るときに、よく引き合いに出される喩えだ。
だから「物事をネガティブに捉えずに、ポジティブに考えましょう」という無責任な考えもここから出てくる。
しかし、ぼくの経験から言わせてもらえば、それは不幸せなことなんです。
そういう風に自分の心を縛って、無理矢理ポジティブに考えようとすることが、幸せだと言えるんだろうか?

例えば人通りの多い道を歩いている時に、石につまづいてこけたとしよう。
その時「おお、おれはなんと幸せなんだ!!」と思う人がいるだろうか?
大半の人は「ちぇっ、ついてないのう。恥かいてしまった。今日は不幸な一日やのう」と思うのではないだろうか。
しかしポジティブの考え方から言えば、「これを幸せだと捉えないと」と、こけたことが幸せであるための根拠を探さなければならない。
「そういえば、こけた場所のちょっと先に犬の糞が落ちていたなあ。こけなかったら気がつかんで踏んでいただろう。おれはなんと幸せなんだ!」とか、
「今日こけたということは、次からここを通る時は用心して歩くだろうからこけなくてすむ。なんとおれは幸せなんだ!!」とか、
「おっ、今日のこけ方は決まっていたぞ。おそらく見ていた人も『かっこいい』と思っただろう。うーん、なんといい日だ」などと、「ちぇっ、ついてないのう」の何十倍のことを考えなければならなくなる。

しかも、この幸せに考えようとする癖をつけてしまうと、万事にこの考え方をしなければ気がすまなくなる。
この考え方、つまり「幸せの言い訳」である。
他人から、「変な言い訳するねえ」「回りくどい人やねえ」「素直さが足りんねえ」「いつもヘラヘラ笑いよるねえ」などと言われ変人扱いされてしまう。
そんな陰口を叩かれても、なお「おお、おれは陰口を叩かれている。なんと幸せなんだ!!」と思おうとする。
いや、そう思わないと何か落ち着かなくなってしまう。
ここまでくれば、立派な病気です。
これを不幸と言わずに、何を不幸と言うのだ!?
心の持ちようだの何だの言うが、不幸なものは不幸です!

さて、冒頭の「ため息をつくと、幸せが逃げる」というのは、「『ため息をつくと幸せが逃げる』と思うことが、不幸せ」ということだ。
「あ、ため息ついた。どうしよう?」と思うより、そのことに触れずに歌でもうたっていたほうが賢明である。
幸せはどこに逃げるのか?
― はい、あなたが「幸せが逃げる」と思っているところに逃げます。
  つまり意識がそこに移行するだけの話です。
取り戻す方法は?
― はい、忘れることです。
 忘れることが一番幸せです。