いくら善意から出た行動でも、間の取り方がまずいと怒りを買うことがある。
例えば贈り物などを届けてやっても、相手が出勤前だったり、夜遅かったりした場合、間違いなく相手は気分を害する。
「すいませんねえ、わざわざこんな時間に持ってきてもらって。別の日でもよかったのに」と言いながらも、顔にははっきり「不愉快だ。常識を知れ!」と書いてある。
ちょっとひねくれた人なら、「おれを怒らせるために、わざわざこの時間を選んで来たんじゃないのか?」と疑うだろう。
以前、ぼくの家ではF薬品という会社の置き薬を置いていたのだが、そこのセールスはいつも午前9時前、つまりぼくの出勤直前に来ていた。
いつもぼくは、「すいません。出勤前なので、また別の時間に来てもらえませんか?」と断っていたが、再三この時間に来るので、最後にはぼくも切れて「いいかげんにせ!この時間には来るなと言うとったやろうが!もう二度と取引せんけ、置いとる薬全部持って帰れ!!」と怒鳴りつけた。
相手は初めて、「この時間に来てはいけなかったんだ」と気づいたようで、何度も頭を下げ詫びを入れていたが、ぼくは受付けず、薬を全部持って帰らせた。
いくら間抜けな人間でも、二度同じことを言われたらわかりそうなものである。
つまり彼は、ぼくに対する間を外したのである。
営業や販売にとって、この間の取り方というものが、最も重要な要素となる。
販売技術や商品知識も大切だろう。価格も大切だろう。もちろん人柄も大切だろう。しかし、それだけでは物は売れない。
なぜ売れないか? そう、間の取り方が悪いからだ。
営業や販売の達人という人は、この間をうまく使いこなしている。
22歳の頃、ぼくはNという店で家電販売のアルバイトをやっていた。
その店に、Mさんというぼくより3つ年上の人がいた。
そのMさんの、間の取り方というのが、実に絶妙だった。この人にかかったら売れないものはないと言っても過言ではなかった。
ぼくがこの店に入ったとき、上司や先輩から「物を売るためには、大きな声でいらっしゃいませと言うことが大切だ」と教えられた。
そしてぼくはお客が来ると、教えられたとおりに闇雲に大きな声で「いらっしゃいませ」を連発した。
しかし、全然売れない。
入って2週間ほど経って、上司から「もう慣れたやろ。少しは売れるようになったかね?」と聞かれた。
「いや、大きな声で『いらっしゃいませ』を連発しているんですけど、まったく売れなくて」とぼくは答えた。
「そうか。でも焦らんでいい。そのうち売れるようになる」と慰められた。
しかしその後も売上は思うように伸びなかった。
最初は慰めてくれていた上司も、だんだんぼくを見る目つきが変わっていき、ついには「しんたはだめだ。もう首にしろ」というようになった。
まあ、首にはならなかったが、「しばらく他の売場に行って勉強して来い」といわれ、とうとう配置換えさせられた。
ぼくとしては、言われた通りにやって売れないのだから面白くない。
ふてくされて仕事をやっていた。
いいかげんに、大声で「いらっしゃいませ」を繰り返すだけになっていた。
ぼくがMさんを知ったのは、そういう時だった。
Mさんはぼくが新しく配置された売場の隣の売場にいた。
いつも売上はナンバーワンだった。
「Mさんとどこが違うのだろう?」と思ったぼくは、ある日Mさんをずっと観察した。
「え?」と思った。
Mさんは全然「いらっしゃいませ」と言ってない。
いや、言ってはいるのだが、お客さんに聞こえる程度で、こちらには聞こえないのだ。
それも、お客が来てからすぐには言ってない。
お客が一通り商品を見終わり、次に立ち止まったところを見計らって「いらっしゃいませ」と声をかけている。
それまでMさんは他の仕事などをして、お客に対してプレッシャーを与えないようにしているのだ。
商品説明もだらだらやっていない。
要点だけを説明し、あとはお客の質問に答えているだけだ。
「いらっしゃいませ」から10分程して、20万円の商品が売れた。
次に来たお客には、比較的大きな声で「いらっしゃいませ」を言っている。
このお客も、数分で15万円の商品を買った。
その後も何人か接客していたが、一人一人応対が違う。
しかも、接客した人すべてが買っているのだ。
お客の性格を瞬時に見分け、それの応じて接客方法を変えて行く。
思わず「すごい!これぞプロだ」と唸ってしまった。
それからというものMさんの真似をして接客した。
だんだん売上は伸びて行き、人並みの売上を作れるようになった。
接客に自信を得たぼくは、その後20年以上この仕事を続けている。
しかし、いまだにMさんの間の取り方の域には達してない。
彼は間の取り方の天才だった。