小学5年生の時、初めてドロップハンドルの自転車に乗った。
夏休みに学校のプールに泳ぎに行った時、海パンを忘れてしまった。
その日、Kという友達が自転車に乗って来ていたので、「Kちゃん、ちょっと自転車貸して」と無理矢理借りて、家に海パンを取りに帰った。
そのKちゃんの自転車がドロップハンドルだった。しかも26インチ。
初めてなので前傾で乗るのが難しく、また足も届かなかったので、何度も転びそうになった。が、それでも何とか家に着いた。
しかし、それは学校に戻る途中に起こった。
ぼくの家から小学校に行くのには国道を横切らなければならない。
そこは通学路であったから、当然信号機も備わっていた。
ちょうどぼくが信号にさしかかった時、信号は黄色になっていた。
そこで止まればよかったのだが、慣れない自転車で、しかも足も届かなかったから、一度止まると乗るのに時間を食ってしまう。
ということでぼくは強行突破を決意した。
ところが、あと3メートルで横断歩道を渡り終えるところで転んでしまった。
信号はもう赤になっていた。
そこに大型のダンプが突っ込んできた。
「わ、死ぬ!」と思った。が、ダンプはぼくの2メートルほど手前で止まった。
「馬鹿野郎っ!!!」とダンプの運ちゃんは怒鳴った。
ぼくは立ち上がり、「すいませーん。ぼくは馬鹿でーす」と自転車を押してその場を去った。
学校に着くまで、胸はドキドキと高鳴っていた。
そして「もう2度とドロップハンドルには乗らん!」と心に決めた。
それから18歳までぼくはドロップハンドルには乗らなかった。
中学の時乗っていた自転車は最悪だった。
どういうわけかよくパンクをする。
ひどい時は、2日で1回のペースだった。
いくら小学生の頃より小遣いが上がったといっても、2日に1回の修理代は痛かった。これではコーラも飲めない。
お金のない時は、修理に出したまま何日も取りに行かなかった。
自転車屋に取りに行った時は、いつも「病気で学校を休んでいたもんで」などと見え透いた言い訳をしていた。
ぼくとこの自転車はよほど相性が悪かったのか、乗ればパンクするようになった時に盗まれてしまった。中学3年の秋のことだった。
ぼくは悔しさよりも、「盗んだ奴も修理代取られるぞ。かわいそうに」などと哀れんでいた。
そういえば、この自転車にもエピソードがある。
隣町にこの自転車で遊びに行っていた時、急に下腹が痛くなった。
一緒に遊んでいた友達に「悪いけど帰る」とダッシュで自転車を漕ぎ家に帰った。
その途中、石か何かに乗り上げてしまい自転車が弾んでしまった。
そして地面に着地した時、その震動が下腹に来た。
生まれて初めて漏らしてしまった。
下していたらしく、ベチョベチョで気持ち悪くてしかたなかった。
そしてズボンに染み込ませないようにと、立ち漕ぎで家まで帰った。
その自転車を盗まれてから、予備校に入るまでの3年半の間、ぼくの家には自転車がなかった。