頑張る40代!

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長崎屋の思い出 1

先日閉鎖が決まった長崎屋黒崎店には、いろいろ思い出がある。
オープンはぼくが高校2年の時、つまり1974年(昭和49年)だった。
当時ぼくらのクラスでは、オープンしてすぐに行くのは田舎者だという認識があった。 そのせいもあって、クラスで「長崎屋に行った」という声は聞かれなかった。 もちろんぼくも、バス停の横にあったにもかかわらず行ってない。
初めて長崎屋に足を踏み入れたのは、翌年、高校3年のことだった。 店の中は、ぼくの予想とは違わなかったので、別に何ということもなかったが、その頃興味があったオーディオ商品の数の多さにはビックリさせられた。 おそらく、当時長崎屋の横にあった「北九無線」と同等の品揃えではなかったのではないだろうか。
この品揃えというのは、既存の「井筒屋」「ダイエー」「ユニード」にはないものだった。

ある日、長崎屋でひとつの事件があった。
友人と長崎屋の6階のオーディオ売り場でぶらぶらしていた時、急に周りの雰囲気が変わった。
K女子高の制服の女の子10人ほどに囲まれてしまったのだ。 顔見知りの子は一人もいなかった。 その中のリーダー的な女の子が、ぼくを指差して、「この人ね」と一人の女の子に確認している。 その子が「うん」と答えると、リーダーは「何ね、3年生やないね」と言った。
ぼくは『何か、こいつらは? おれ、何かしたかのう?』と思い、怖くて胸がドキドキしていた。 男に囲まれたことはあるけど、女に囲まれたのは初めてである。 男に囲まれるのは嫌なものだが、女の場合はもっと嫌である。
リーダーがぼくのほうを向いて、「あの子と付き合ってやり」と言った。付き合ってやりも何も、その子とは初対面である。 よく知りもしない人と付き合うなんていうことは、ぼくの主義に反している。
『さて、どう断ったものか』と考えて出た言葉が、「おれ、付き合いよる人がおるけ」だった。 後にも先にもこんなことを言ったことはない。 しかし、この言葉はその子を諦めさせるのには充分だったようだ。 「何ね。付き合いよる人がおるんやん」と、その子たちはさっと引き上げていった。
ぼくは友人と顔を見合わせて、「怖かったねえ」と言った。
その後、高校を卒業するまで何度か長崎屋の6階に行ったが、その子たちに会うことは2度となかった。 いや、会ったのかもしれないが、前にも言ったとおり、ぼくは人の顔を覚えることが苦手なので、わからなかっただけかもしれない。

高校を卒業して予備校に通いだしてからは、もっぱら隣の井筒屋ばかり行って、長崎屋に行くことは少なかった。 行った覚えがあるのは、ある日突然トーストが食べたくなって、トースターを買いに行ったことくらいか。
大学を諦めたその翌年は、井筒屋でアルバイトをしたりしていたが、長崎屋に行くことはなかった。
そんなに足繁く通ったわけでもない長崎屋に、どうして思い出を持っているのか? それは、それから2年後、ぼくが東京から帰ってきてから始まる。