頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

長崎屋の思い出 4

あれだけぼくを目の敵にしていたフロアー長だったが、ぼくが売り上げを上げだしてから、徐々にぼくに話しかけるようになった。
ある日のこと、フロアー長が声をかけてきた。
「しんた君、今日空いてる?」
「はあ」
「ぼくは黒崎をあまりよく知らないから、HT君と案内してくれない?」
飲みのお誘いだった。
実はフロアー長は、ぼくが長崎屋で働き出す少し前に黒崎店に赴任したのである。社員の人とは打ち解けてなかったし、ヘルパーとは対立していたし、寂しい思いをしていたようだ。
ぼくは別に断る理由もなかったので、HTさんも行くのなら、と承諾した。
もちろん奢りだった。

仕事が終わって、3人が向かったのは長崎屋の隣にある焼き鳥屋だった。
いくら生まれ育った土地とはいえ、20代前半では焼き鳥屋に案内するのが精一杯だった。
別段何という話をしたわけではないのだが、HTさんとぼくは結構本音でものを言っていた。フロアー長も別に怒ることもなく、二人の話を聞いていた。
いろいろ語ったが、フロアー長もそれほど悪い人でないのがわかった。
その後、フロアー長と個人で飲みに行くことはなかったが、数年後にHTさんが、その頃伊丹に転勤していたフロアー長に会いに行ったことがある。
その時、「君たちと飲みに行ったことは、今でも忘れないよ」と言っていたという。

それからほどなく、フロアー長から「しんた、もう小物はしなくていいよ。君は音物(オーディオ関係)が好きそうだから、ラジカセを売ってみないか?」と言われた。
確かに興味のある部門だったが、ぼくにはエアコン販売という足枷があった。
ぼくが「しかし、日立の建前エアコンを売らないと・・・」と言うと、フロアー長は、「何を売らせるのかを決めるのは店だから、君は気にしなくていいよ」と言った。
小物と掛け持ちでということで、ぼくはラジカセの売り場に行った。

ぼくがラジカセにこだわったのには理由があった。
前年に発売されたソニーの「ウォークマン」が、爆発的な人気を得ていた頃である。
当然、音楽好きのぼくがそれを見逃すことはなく、いつかは欲しいと思っていた商品であった。
そのウォークマンに直に触れられる売場に行くのが、前々からの夢であったわけである。
しかし、その売場に行った時に愕然とした。
なんとそのウォークマンは売れすぎて、商品が入ってこない状況にあるというのだ。
担当の社員に「いつ入ってくるんですか?」と尋ねると、「さあ、よくわからない」と言うことであった。
そのうち、ソニーのセールスの人と仲良くなったが、その人も「いつ入るのかわからない」と言う。
どうしても1台欲しかったぼくは、他のメーカーのを買うことにした。

当時は各メーカーが似たようなものを出していた。
店にあったのは、アイワと東芝とビクターの分であった。
他に長崎屋には置いてなかったのだが、松下の「旅カセ」というのがあった。
他社がウォークマンと似た形をしていたのに対し、これはユニークな形をしていた。
テープデッキのカセットの部分だけを切り取ったような形をしており、それにハンドルを付けていた。 もちろんヘッドホンを差し込むようになっていたのだが、後ろにはピンコードを差し込むジャックがあり、オーディオアンプと接続できるようになっていた。 つまり小型のテープデッキだった。 
さて、いろいろ音を聞き比べ悩んだ結果、ぼくが買ったのはアイワの「カセットボーイ」だった。
なぜこれを選んだかといえば、当時としては珍しく録音機能が付いていたのだ。
この機能は他のメーカにはなかった。 どこのメーカーもソニーの真似で、再生専用だった。
その当時ぼくはオーディオ機器を持ってなかったので、これは魅力だった。
しかし、買ってから何日かたってから、ある事実を知って落胆する。
録音の音が悪い!
ひどいものだった。 ノイズはザーザー入るし、音量は低いし、「こんなの買わんほうがよかった」と思ったが、後の祭りだった。
そのことに気づいて2,3日たってから、ソニーウォークマンが入ってきた。
ソニーの音を聞いたときに、アイワが嫌いになった。
その後は、あまり「カセットボーイ」を聴くことはなくなった。
ぼくがソニーウォークマンを手にするのは、それから2年後のことである。