頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

髪型の話

先日、床屋に行った。
毎月人から「どこを切ったん?」と言われるくらいに、あまり髪を短くしないのだが、今回はわりと短く切った。
ぼくが床屋に行っても、いつもまったく気づかない人が、今回は「あ、散髪しとる」と言ったくらいだから、結構雰囲気も変わったんだろう。

そういえば、ぼくの髪型は高校の頃からほとんど変わってない。
もし髪が黒くてもう少し長かったら、高校時代そのものである。
街で同級生などに会っても、「お、しんたやんか。お前変わってないのう」と、きっと言われるはずである。
ああ、でもだめか。
体型が変わってしまっている。

ぼくは額の上の中央に「ぎりぎり」があるので、横分けが出来ない。
小中学生の頃は「坊ちゃん刈り」だったので、前髪は下に垂らしていた。
しかし、高校生になるとしゃれっ気も出てくるので、「坊ちゃん刈り」ではすまされない。
入学当初こそみんな中学の延長だったが、何ヶ月か過ぎるとみな髪を伸ばしだした。
伸ばしてないのは野球部の連中だけであった。
ぼくは柔道部に所属していたが、顧問がいなかった(実際はいたが、全然顔を見せなかった)せいもあり、髪のことでとやかく言われることはなかった。
しかし、夏休みに行われる「金鷲旗高校柔道大会」にはスポーツ刈りにする、という伝統がぼくたちの学校にあったため、ようやく長髪になってきた髪を泣く泣く切ったことがある。
その時、ぼくは「ぎりぎり」のせいで前髪が立たず、先輩たちから「お前、髪切ったんか? ぜんぜん変わってないやないか」と文句を言われた。
このときばかりはぼくも負けてなかった。
「髪が立たんとですよ。前にぎりぎりがあるけ、しかないでしょ。ちゃんとこちらは床屋に“スポーツ刈りにしてくれ”と言ったんですから」と反発し、そのぎりぎりを見せた。
それを見た先輩は、もうそれ以上の追求はしなかった。

金鷲旗が終わってから、またぼくは髪を伸ばしだした。
とうより、それから高校を卒業するまで、床屋には行かなかった。
髪は自分で切るか、母親に切ってもらうかしていた。
髪型は分けやすいように真ん中から分け、「ぎりぎり」から生えている髪を垂らすようにした。
「前髪は眉毛にかからない程度。横は耳がかぶさる程度。後ろは襟にかからない程度」と生徒手帳に書いていたが、完全に無視した。
先生も、髪を切ったら喜ぶ程度で、伸ばしていたからといって別に文句は言わなかった。
3年の金鷲旗の時は、伝統を破って、ロン毛で参加した。
試合は1回戦で負けたが、髪の長さでは誰にも負けてなかった。
ちなみに、この大会にあの山下泰裕も参加していたが、彼は坊主だった。

その時代の髪型が30年近く続いているのである。(もちろん今はロン毛ではない)
その間、「パーマかけたら似合うと思うよ」とか「髪を立たせたらどう?」などとよく言われたが、耳を貸さず、頑固にこの髪型を続けてきた。
これが一番気に入っている、というよりも、この髪型しか出来ないからである。

今は仕事上無理であるが、将来はまた伸ばしたいと思っている。
その際は「しろんげしんた」と名前を変えなければならない。