夕方のことだった。
取引先の人と話していた時、前をアベックが通り過ぎて行った。
その直後、鼻を突く嫌な臭いがしてきた。
香水の匂いである。
女性のほうがつけているようだった。
ぼくはあの匂いがだめなのである。
予備校に通っていた頃の話だが、よく昼食をラーメン屋でとっていた。
ある日のこと、いつものようにラーメンが来るのを待っていると、ラーメンの出汁の匂いのはざ間に、香水の匂いがしてくるではないか。
よく見ると、カウンターにブランド物で着飾った厚化粧のおばさんが座っている。
匂いの元はこのおばさんであった。
この時、ぼくと一緒にラーメン屋に行っていた者は、みんな不快な顔をしていた。
ぼくたちは、小声で「ラーメンを食いに来るのに香水をつけてくるな!」と言い合っていた。
しばらくしてラーメンが運ばれてきたが、ぼくはもうその頃には香水の匂いに酔ってしまっていて、ラーメンを食うどころではなかった。
ちょっとは箸をつけたが、ほとんど食べずに店を出た。
その後、現在に至るまでそのラーメン屋には足を運んでないのは言うまでもない。
そこからぼくの香水嫌いは始まった。
だいたい香水というのは、よく知られているように、西洋の女性の体臭隠しのために作られたものである。
一説によれば、おしっこの臭いもこれで隠していたそうである。
つまり香水とは、その匂いで体臭を中和させ、他人に嫌な思いをさせないための小道具である。
西洋人に比べ体臭の少ない日本人が、それをつけるというのは、嫌味以外の何ものでもない。
香水が中和すべき対象を持たない場合、その匂いというのは新たな体臭を作る。
この理がわからないのだろうか?
それともわかっていてしているのだろうか?
もしも香水の匂いが個性だと思っているのなら、それは大きな勘違いである。
匂いに個性はあっても、その匂いはその人ではないからだ。
日本には昔から匂い袋というものがあるが、それは匂いを発散させるものではなく、ほのかに香るように忍ばせるものだ。
ほのかに香る匂いといえば、風呂上り女性のほのかに香る石鹸の香り、これほど男心をくすぐるものはない。
ほのかに香る匂いの中にこそ、本当の女の色気があるのではないだろうか?
それは女の「粋さ」と言ってもいいだろう。
ぼくは香水によって作られた匂いの中に、色気というものをまったく感じない。
これから出会う女性の方たち、せめてぼくの前に現れる時は、香水をつけてこないで下さいませ。