風邪が流行っている。
会社に行くと、回りは風邪を引いている人が多かった。
ぼくも昨日の日記が午前3時過ぎまでかかったせいもあり、体調が充分ではなかった。
朝からコンクリートの塊を頭に乗せられた夢を見て、少し頭痛がしていたのだ。
余談だが、ぼくは体調が優れない時には、決まって変な夢を見る。
胃が悪い時はレコード盤を食べる夢、熱がある時にはうんこの夢を見ることが多い。
とうとう今回、頭痛編の夢まで見るようになったわけである。
こんな夢見を引きずり、頭痛に耐えながらも何とか起きたが、鼻がつまるし、くしゃみも連発して出るしまつだった。
会社に着いて、朝一番に隣の売場のラーさん(2001年1月24日の日記参照)から、「息子が41度の熱を出した」と言うのを聞いた。
ぼくは、「ただでさえ体調が悪いのに、この上風邪菌をもらったらオオゴトだ」と思い、今日はラーさんとお話しすることは遠慮させてもらった。
ラーさんからその話を聞いたあと、昨日買った携帯を見せびらかせにレジに行った。
ここにも風邪引き女がいた。
彼女は顔が脹れ上がり、目がトローンとしている。
話しかけても、返事がワンテンポ遅れて返ってくる。
「ここにも近寄れん」と売場に戻った。
売場に戻ると、うちの女の子が来たところだった。
何か変だ。
せきをしている、声が違う、動きがぎこちない。
「もしかしたら」と思っていると、彼女はおもむろに体温計を出し、「熱がある」と言った。
ここは、自分の持ち場だから逃げようがない。
しかたなく、隣の薬局に葛根湯を買ってきて、風邪予防のために飲んでおいた。
今日は店の中が寒かった。
いつもは暖房が必要ないほど暑い売場である
それに外は昨日に比べるとそんなに寒くない。
「これは寒いんじゃなくて、寒気がするんだろう」と思い、めったに入れない暖房を入れた。
それでも寒さが収まらなかったので、トレーナーを一枚着込んだ。
やっとのことで寒さから解放された。
じっとしていると風邪のことを考えてしまうので、仕事に精を出すことにした。
しかし暖房を入れているので、やりすぎると汗をかいてしまう。
ちょっと汗をかくと、倉庫へ行って汗を引かせる。
ここも冷えすぎないようにして、程よいところで売場へ戻る。
このタイミングが難しい。
結局昼食後から、ぼくの体調は回復していった。
若干いがらっぽかった喉も、濃いお茶を飲んだら治ってしまった。
とにかく用心のために、葛根湯を飲んでおいた。
今はなんともない状態である。
そういえば高校2年の時、風邪で高熱を出し大変な目にあったことがある。
2月のある日、前日から熱が出始め、朝起きるとかなりフラフラした状態になっていた。
悪いことにその日は、柔道の県北予選の日であった。
午前9時に、駅前で他の部員と待ち合わせていたが、あまりに熱がひどいので、外に出る気がしない。
しかし当時は今のように携帯電話もなく、「今日は休む」と言うためには、駅前まで行かなければならなかった。
しかたなくタクシーを使って駅前まで行き、そこで事情を説明し、補欠選手に「お前出てくれ」と頼んだ。
そいつは臆病者だった。
「柔道着を用意してない」とか何とか理由を付け断った。
ムッとしたぼくは、「もういい。頼まん!」と、試合に出ることにした。
試合は散々たるものだった。
全然力が入らない。
技をかけても返されてしまう。
何をやっているのかわからないままに、技ありを取られ、押さえ込まれて、合わせての一本負けだった。
1分も持たなかった。
他のメンバーも全滅であった。
だいたい顧問も来ない、真面目に練習もしてない、わが柔道部が勝てるはずもないのだが、その時は変に悔しい思いをしたものだ。
翌日は学校に行ったものの、熱は下がらなかった。
その日、今度は授業で柔道の試合があった。
柔道の授業は一度もサボったことがなかったので、当然その日も出た。
たまたま先生がいなかったのだが、試合は行われた。
そこまでぼくは11戦全勝だった。
ちょうどその日、ぼく以外では一番強いと言われていた者との試合だった。
柔道部のキャプテンとして負けるわけはいかない。
しかしこの熱である。
思うように体が動かない。
いよいよになったら飛び道具を使おうと思っていたが、それを使う暇もなく、試合は時間切れの引き分けに終わった。
もうフラフラだった。
結局2日間の無理がたたり、さらに熱は上昇した。
さらに悪いことに、鼻血が出だしたのである。
延べにして、洗面器一杯分は充分に出ただろう。
その翌日から、ぼくは学校を2日ばかり休んでしまった。
2日間、布団の中で安静にしていた。
もちろん、うんこの夢を見ながら。