2日前、バイパスで事故があり、1車線が通行止めになっていた。
その日が日曜であったため、さして渋滞はしていなかったが、みな警察官の誘導の元、もう一方の車線をノロノロと走って行った。
別に車線が狭いわけでもないので、ノロノロと走る必要もない。
さっさと通り越してしまえばいいようなものだが、事故現場が気になるのか、みな事故現場のほうを見ながら運転している。
中には事故なんかどうでもいい人だっているはずだ。
しかし、そういう人も一応はその現場を確認している。
やはり人には本来、野次馬根性が備わっているのだろう。
さて、事故車の横を通る時、「なぜこの車は、こういう状態で停まっているのだろう?」と思うことがよくある。
まず、進行方向と逆向きに停まっている車。
おそらく、ぶつかった時に回転してこちら向きになったのだろうが、それにしても、まるで逆走してきてそこに停まっているかのように、ピタリと車線内に収まっている。
今回の事故もそうなっていた。
次に、中央分離帯に乗り上げている車。
これは別におかしなことではないが、たまに「よくこれで停まったものだ」と思われる事故車を見かける。
以前、中央分離帯の上に真横を向いて停まっている事故車を見た。
ちょうど、中央分離帯の中に、きれいに駐車した形になっている。
あの段差があるのに、よくこういう状態で停まれたものだ。
これなんかは、「もう一度、この状態で停まってくれ」と頼んでも、到底出来ることではないだろう。
江頭2:50のような格好で停まっている車。
つまり、片方の肩で倒立しているような格好になっているのだ。
車の中には誰も乗っていない。
運転者はどうやってそこから脱出したのだろう?
それに、そこから脱出するさいに、車はバランスを崩して倒れるはずだ。
そうなってないのはなぜだ?
これも事故に入るのだろうが、何年か前に本屋の駐車場で見た話である。
その本屋には、駐車場の車止めの後ろに、高さ50センチほどの花壇がある。
なんとその花壇の上に、車が腹を乗せて停まっているのだ。
つまり、花壇の上に乗り上げているのだ。
おそらく、停車しようとブレーキを踏もうとして、誤ってアクセルを踏んでしまったのだと思う。
しかし、花壇の高さが50センチもあるのだから、そういう場合は車止めを乗り越えて、花壇の壁に激突するはずではないか。
これはもう、人知を超えた力が働いたとしか考えられない。
決して店のパフォーマンスでやっていたのではない。
乗り上げた車の後ろで困った顔をして必死に電話をしている姿があった。
おそらく、その車の持ち主だったのだろう。
「信じられんかもしれんけど、・・・。・・・、信じられん」と、しきりに「信じられん」を連発していた。
その時その人は、「きっとこれは、神か宇宙人の力に違いない」と思っていたのかもしれない。
ぼく自身はそんな事故の経験はないのだが、車の運転で一、二度変なことがあった。
郵便局に書留を取りに行ったときのことだ。
駐車場はいっぱいだったので、しかたなく歩道に駐車していた。
用を終え、車を動かそうとバックをした時だった。
車の後ろから「ガガー」と車をこする音がした。
「あーあ、やってしまった」と車を降りて見てみたのだが、車には何も傷はなかった。
おかしいなと思い、周りを見てみたのだが、何も車をこするような障害物はないのだ。
空き缶を踏んだわけでもなかった。
「他の車がやったのか?」と思ったが、ぼくの車の周りには車はなかった。
納得いかないぼくは、家に帰ってから、再度車を点検した。
やはり何もなっていない。
さらに車の裏も確認したのだが、ここも無傷だった。
「まあ、無傷だからいいや」と思ったが、何か納得がいかなかった。
夜、車で山道を下っていた時のこと。
視界が悪かったので、ライトをハイにした時だった。
ライトに向かって何かが走ってきているのが見えた。
「お、猫か?」と思った時には、もう遅かった。
確かに前輪で、その「猫」のようなものを踏んだ感触があった。
「やった!」と思いブレーキをかけ停車した。
しかしである。
辺りを見回したが、何もいない。
「ここじゃなかったかも」と少し後戻りしてみたけど、やはりそれらしきものはない。
「逃げたのか?」とも思ったが、血の後もない。
「おかしいな」と思いながら、家に帰った。
例のごとく、車を確認したが、血痕などはついていなかった。
一応、塩をまいておいた。
翌朝も、車を確認したのだが、何もそれらしきものはなかった。
いろいろ考えたあげく、「あれは猫ではなくて、狐だったのだ」という結論が出た。
つまり、ぼくは化かされたのだ。
それはともかく、お互い事故には気をつけましょう。
以上、西部警察からでした。