先日裁判所から、「破産者(K楽器)に対する破産事件について、破産管財人から配当するための財源がないため破産手続きを終了する旨の申し立てがありました。・・・」という通知が来た。
つまりぼくが販売を委託していたギターの代金が、入ってこないということになったわけだ。
「12万円で売れました!」とぬか喜びさせやがって。(7月2日の日記参照)
まあ、今回のことは倒産した時点からわかっていたことであるから、そんなにショックは大きくなかったのだが、ただ非常に頭にきたのは確かだった。
さて、もう戻ってこないギターであるが、これは過去から換算して9台目のギターだった。
メーカーはマーチンで、同一メーカーとしては2台目のものだった。
ちなみに、「歌のおにいさん」に収録している歌の演奏は、ほとんどこのギターで弾いている。
ぼくがギターを弾き始めたのは、高校1年の時である。
中学の頃からギターが欲しくて、あの「TVジョッキー」に出ようかと考えたこともある。
きっかけは中学2年の時、文化祭で3年生が岡林信康の歌を弾き語りで歌ったのを聴いたことだった。
それまではギターは難しいものだと思っていたのだが、コードを押さえてストロークするだけの簡単な弾き方もあると知って、俄然ギターに対する情熱が芽生えた。
まあ、最初は漠然と「ギター欲しいのう」と思うだけだったのだが、中学3年の時に友人が学校にギターを持ってきたのを触らせてもらってから、「ギター欲しい」は本物になった。
その友人は何度か学校にギターを持ってきて、ぼくにコードや弾き方を教えてくれた。
しかし、たまにしか持ってこないギターで、コードや弾き方を習ったってすぐに忘れてしまう。
友人が「この間教えたやないか。お前はCのコードひとつ覚えきらんとか!」と言うので、ムッとしたぼくは「じゃあ、覚えてやるけ毎日ギターをもってこい」と言った。
友人は相変わらず、たまにしか持ってこなかった。
ということなので、ぼくも中学を卒業するまでCのコードを覚えきらなかった。
ぼくの通った中学は、それほどギターが盛んではなかった。
そのためレベルも低かった。
他のクラスに、学校中の誰もが認める「フォークギター上手」がいた。
一度弾いているところを聴いたことがあるが、ちゃんとギターを弾いて歌を歌っているのだ。
誰もが「うまい」「さすがやねえ」などと言っている。
ぼくもそれを見て「凄い!」と思っていた。
しかし、それは「凄い!」ことでもなんでもなかった。
彼は、簡単なストローク奏法をしていただけにすぎず、技術的には大したものではなかった。
つまり、彼は「フォークギター上手」ではなかったのだ。
みんな自分がギターを弾けないから、彼を「フォークギター上手」と思っただけにすぎない。
そのことをぼくは、高校に入ってから知ることになる。
高校に入ってから一番衝撃を受けたのは、ギターを弾く人間があまりにも多かったことである。
しかもレベルがかなり高い。
難易度の高かった拓郎の「花嫁になる君に」や「旅の宿」を、いとも簡単に弾く人が何人もいる。
ぼくは、ああいう難しい曲は、レコードの世界の人しか弾けないものだとばかり思っていた。
しかし、それはぼくの認識不足だった。
「お前、それ誰に教えてもらったんか?」と聞くと、「誰にも教えてもらってない。レコードからコピーしただけ」と言う。
「コピ-? コピーちゃなんか?」
「レコードから音を拾うこと」
「え?レコード聴いて覚えたんか?」
「そう」
世界が違う。
「もし『フォークギター上手』がここにいたら、赤恥もんやのう」
と、ぼくはその時思っていた。