新学期というと、他にもいろいろな行事がある。
その中にクラスの組織作りというのがあった。
学級委員や体育委員などの役割分担である。
この役割分担で、今でも忘れないのが、高校2年の頃にやった保健委員である。
2年の始業式の次の日、選挙方式でクラスの各委員を選出した。
学級委員から決めていくのであるが、担任から「まだクラスの人のことを、よく知らんだろうから、今回だけ学級委員は私が決めたいのですが」という提案があり、みんなはその意見に従った。
学級委員の次が保健委員であった。
最初の選挙である。
担任が言ったように、ほかの人のことを知らないのだから、当然選挙は知名度の高い奴が選ばれるようになっている。
ということで、1年の時変なことばかりやって目立っていたぼくに、白羽の矢が立った。
一般的に言って、学校の保健委員というのは、いわゆる閑職である。
ほとんどやることがない楽な係である。
しかし、高校2年の時の保健委員の仕事はひどかった。
学校の本館と南校舎の渡り廊下の途中にトイレがあったのだが、このトイレを管轄するのが9組の保健委員、つまりぼくであった。
高校2年の時、保健委員だけは1年間替われないという決まりがあった。
ということで、ぼくは1年間トイレの管轄をしなければならなくなった。
養護の先生は、休み時間であろうが放課後であろうが容赦なく校内放送で、「2の9の保健委員、保健室まで」と呼んでは、「トイレが水浸しになっとるよ」とか「便器が汚れとる」と言ってぼくに掃除をさせた。
トイレ中が水浸しになることは、2度や3度ではなかった。
また、「『こんなところにするか!?』という場所」にウンチが転がっているのも、2度や3度ではなかった。
これらを処理するのに、結構時間がかかったのを覚えている。
さらに嫌だったのが、検尿集めである。
これは誰の尿かわかるだけに気持ちの悪いものだった。
容器を手で掴まなければならなかったのだが、なにかぬるぬるして気持ちが悪かった。
しかし、検尿を見てわかったのだが、尿の色も人それぞれでちがうものである。
透明な尿、黄色く濁った尿、白く濁った尿、など千差万別である。
「この尿で占いとかできるんやろうか?」などと思いながら、見ていたものである。
いろいろと嫌なことばかりあった保健委員だったが、役得がないわけでもなかった。
修学旅行の時、薬箱を管理されたのだが、そこに入っていた『トラベルミン』を好きなだけ飲めたのだ。
修学旅行2日目には、すでにトラベルミンはなくなっていた。
3日目に「気分が悪くなりそう」と言ってきた奴がいた。
仕方がないので、「これが効く」と言って、胃薬を与えておいた。
別にその後何もなかったから、効いたのだろう。
とはいうものの、やはり高校2年の時の保健委員の仕事はつらかった。
3年の時も引き続き保健委員をやったのだが、そのときは楽だった。
一応検尿集めはあったが、それ以外の仕事はないに等しかった。
しかし、この時は1学期で委員を辞めたのだ。
おそらく、2年の時にいろいろやったおかげで、この仕事が好きになっていたのだろう。
そのせいで、仕事のない3年の保健委員に面白さを感じなくなっていた。
やはり、人間は仕事をしている時が一番楽しいというのを、この時感じたものである。