中学の頃、『技術』という科目があった。
大工仕事をさせるものである。
ぼくはこれが苦手だった。
講義を受けるだけなら何とか我慢も出来たのだが、実技ともなるとまったくだめだった。
その授業で作るものといえば、文鎮やブックエンドといった簡単なものが多かった。
しかし、ぼくはこの簡単な作品を、まともに作って提出したことがないのだ。
まず、先生が提出期限を決める。
週2時間ほどの授業だったから、だいたい1ヶ月が目安になる。
授業の初めに、先生がその日の作業のポイントを説明していく。
例えば、
「今日はこの板を鋸で切り、かんな掛けまでやることにします。この作業のポイントは・・・」
などとやるのである。
こうやって、段階を一つ一つ追って、ひとつの物を完成させていくのだ。
器用な人は、先生の説明に対しての飲み込みが早く、実に要領よく作業を進めていく。
早々とその日の作業を終え、もう次の作業に取り掛かっている。
先生も、そういう生徒のそばから離れない。
そして、「ここはこうしたほうが、もっと効率よく出来るぞ」などとアドバイスをしている。
さて、ぼくはというと、最初は真面目に取り組むのであるが、元来の不器用者である。
完成のイメージだけはしっかりと思っているのだが、作っている過程で、イメージとかけ離れたものが出来ていくことにもどかしさを感じだす。
こうなると、俄然作業が面白くなくなり、元来の怠け癖が出てくる。
隣の奴をつかまえてしゃべりだす。
先生がそれを咎める。
ひどい時には呼び出されて、ビンタを食らう。
それでも面白くないものは面白くない。
手がまったく動かない。
作業を始めて、2週間目で1週遅れとなり、3週間目で2週遅れとなる。
みんなが提出する時には、3週遅れになっている。
当然、完成品は出せないのである。
例えば文鎮。
この作業は、丸い金属棒の下のほうを真っ平らに削り、上面の中心部にネジ穴を開け、そこにツマミをつけ、色を塗ったらお終いである。
これを1ヶ月かけて作ったのだが、ぼくが提出したのは、グラグラして安定性に欠け、上面に申し訳程度の穴の開いた、ツマミのない文鎮であった。
『美術』も似たようなものだった。
やはり与えられたテーマに対して、壮大なイメージが浮かぶ。
早速取り掛かるのだが、時間を追うにつれ、こちらもイメージとかけ離れたものになっていく。
そのうち飽きてしまい、他の人が提出する頃には、まだ30%に満たない状況だった。
ということで、提出しないことがしばしばあった。
特にひどかったのは、中1の2学期であった。
期間通して、一枚の画も提出しなかった。
この時は筆記試験がなかったため、通信簿で人生初の「1」をもらうことになった。
また美術は、パレットを洗ったりしなければならない。
面倒この上もないことである。
これは『習字』でも同じことがいえる。
さらに、こういう類の教科はトラブルに発展することが多かった。
人の顔に、筆で落書きする奴が必ずいるのである。
最初は冗談でやっていても、それがエスカレートしてしまい、取っ組み合いの喧嘩になってしまう。
ぼくも、習字の時間にトラブルに巻き込まれたことがある。
まあ、そのことを書くと長くなるので、明日の日記にでも書くことにしよう。
上の科目に比べるとましだったのは、『音楽』である。
音楽は歌を歌い、笛を吹いていればことは足りた。
テストは緊張するのでいやだったが、概ね平和な授業だった。
しかし、こういう科目は小学校の頃に得意不得意がわかるはずだから、中学から選択科目にすればいいのだ。
そうすれば、トラブルは回避できるし、ぼくみたいな怠け者を生まなくてすむだろう。