ぼくが中学1年の時の担任は、J子という女の先生だった。
英語の教師で、ヒステリックな人であった。
この先生は徹底的にぼくを嫌っていた。
当然ぼくもこの担任J子を嫌っていた。
昨日の日記で、美術の通信簿の点が「1」だったと書いたが、実はこの時、体育の点も「1」だったのだ。
そのために学校で問題となった。
体育の「1」は、まったく授業に出ず、ボイコットしていたためである。
当然、母親が召喚され、お小言をもらうことになる。
「2科目『1』があるというのは、学校創立以来の初めての出来事ですよ!これは大問題です」
担任J子が血相を変えて言った。
たしかに、通信簿の『1』というのは不名誉なことである。
しかしぼくは、この「学校創立以来初めて」というのが気に入っていた。
母親が学校から召喚されるのは、この時が3度目であった。
最初は喧嘩だった。
習字の時間に、Mという男が「しんた、筆貸して」と言ってきた。
ぼくが「いいよ」と言って筆を差し出すと、Mはわざと体をぼくの筆に押し付けてきた。
Mは「お前汚したの!」と言って、机の上にあった墨のたっぷりついた筆を掴み、振り下ろした。
墨は散って、何人かのシャツを汚した。
ぼくは、Mを羽交い絞めにして、筆を取り上げた。
クラスの連中は一部始終を見ていたので、みなMを非難した。
ちょうどその時、担任J子が教室に入ってきた。
「なんしよるんね、あんたたちは!」
担任J子は他の生徒に事情を聴いていた。
そして「しんた君とM君、放課後職員室に来なさい」と言った。
職員室で担任はぼくら二人を並べ、「どうしてあんたたちは、喧嘩するんかね」と訊いた。
ぼくは「喧嘩なんかしていません。Mが突然暴れだしたんです」と言った。
するとMの奴は、「しんたが先にやったので、仕返ししました」と言った。
結局どちらも悪いということになり、クラスの人たちに謝る羽目になった。
他の連中は「しんたは悪くないです」といってくれたが、担任はそれを聞き入れなかった。
さらに、双方の親を召喚したのだ。
その時担任は、「子供さんをちゃんとしつけてもらわないと、このままでは不良になりますよ」とうちの母親に言ったらしい。
さらに「しんた君が一人で黒崎(繁華街)に行く姿を見かけた、という声があるので心配してたんですが、まさかこんなことをするなんて・・・」とほざいていたらしい。
たしかにぼくは一人で黒崎に行っていたが、それは柔道場に通っていたためである。
そのくらい調べればわかることじゃないか。
2度目の召喚の理由は、授業態度がなってない、であった。
その日の授業が暇だったので、ぼくは落書きをしていた。
それを技術の先生に見つかった。
ただそれだけの話である。
取り立てて目くじらを立てるような問題ではない。
それでも、担任J子は鬼の首を取ったように、うちの母親を呼びつけた。
「いつも落ち着きがなくて、ほかの生徒に迷惑ばかりかけてます。私どもも、もう手に負えない状態でして」と言ったらしい。
3度目の召喚の、1週間前の話である。
それにしても、中学1年の2学期までに3度も母親を学校にを呼ぶとは。
担任J子は、ぼくのことを大変な問題児だと思っていたのだろうか。
それとも、大変嫌っていたのだろうか。
まあどちらにしろ、担任J子との付き合いは1年で終わった。
よその学校に転任したのだ。
ぼくは、「これで終わった。もう2度と会いたくない」と思った。
しかし、これで終わらないのが人生である。
担任J子には、ぼくと同い年の娘がいた。
もちろん他の学校だったのだが。
なんという因縁か、その2年後に、ぼくはそのJ子娘と同じ高校に行くことになったのだ。
高校で何度か、元担任J子にお目にかかりましたわい。
その時、元担任J子は、「あの問題児と娘が一緒の高校だなんて」と思ったに違いない。
さぞかしプライドが傷ついたことだろう。