頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

担任J子

ぼくが中学1年の時の担任は、J子という女の先生だった。
英語の教師で、ヒステリックな人であった。
この先生は徹底的にぼくを嫌っていた。
当然ぼくもこの担任J子を嫌っていた。

昨日の日記で、美術の通信簿の点が「1」だったと書いたが、実はこの時、体育の点も「1」だったのだ。
そのために学校で問題となった。
体育の「1」は、まったく授業に出ず、ボイコットしていたためである。
当然、母親が召喚され、お小言をもらうことになる。
「2科目『1』があるというのは、学校創立以来の初めての出来事ですよ!これは大問題です」
担任J子が血相を変えて言った。
たしかに、通信簿の『1』というのは不名誉なことである。
しかしぼくは、この「学校創立以来初めて」というのが気に入っていた。

母親が学校から召喚されるのは、この時が3度目であった。
最初は喧嘩だった。
習字の時間に、Mという男が「しんた、筆貸して」と言ってきた。
ぼくが「いいよ」と言って筆を差し出すと、Mはわざと体をぼくの筆に押し付けてきた。
Mは「お前汚したの!」と言って、机の上にあった墨のたっぷりついた筆を掴み、振り下ろした。
墨は散って、何人かのシャツを汚した。
ぼくは、Mを羽交い絞めにして、筆を取り上げた。
クラスの連中は一部始終を見ていたので、みなMを非難した。
ちょうどその時、担任J子が教室に入ってきた。
「なんしよるんね、あんたたちは!」
担任J子は他の生徒に事情を聴いていた。
そして「しんた君とM君、放課後職員室に来なさい」と言った。

職員室で担任はぼくら二人を並べ、「どうしてあんたたちは、喧嘩するんかね」と訊いた。
ぼくは「喧嘩なんかしていません。Mが突然暴れだしたんです」と言った。
するとMの奴は、「しんたが先にやったので、仕返ししました」と言った。
結局どちらも悪いということになり、クラスの人たちに謝る羽目になった。
他の連中は「しんたは悪くないです」といってくれたが、担任はそれを聞き入れなかった。
さらに、双方の親を召喚したのだ。
その時担任は、「子供さんをちゃんとしつけてもらわないと、このままでは不良になりますよ」とうちの母親に言ったらしい。
さらに「しんた君が一人で黒崎(繁華街)に行く姿を見かけた、という声があるので心配してたんですが、まさかこんなことをするなんて・・・」とほざいていたらしい。
たしかにぼくは一人で黒崎に行っていたが、それは柔道場に通っていたためである。
そのくらい調べればわかることじゃないか。

2度目の召喚の理由は、授業態度がなってない、であった。
その日の授業が暇だったので、ぼくは落書きをしていた。
それを技術の先生に見つかった。
ただそれだけの話である。
取り立てて目くじらを立てるような問題ではない。
それでも、担任J子は鬼の首を取ったように、うちの母親を呼びつけた。
「いつも落ち着きがなくて、ほかの生徒に迷惑ばかりかけてます。私どもも、もう手に負えない状態でして」と言ったらしい。
3度目の召喚の、1週間前の話である。

それにしても、中学1年の2学期までに3度も母親を学校にを呼ぶとは。
担任J子は、ぼくのことを大変な問題児だと思っていたのだろうか。
それとも、大変嫌っていたのだろうか。
まあどちらにしろ、担任J子との付き合いは1年で終わった。
よその学校に転任したのだ。
ぼくは、「これで終わった。もう2度と会いたくない」と思った。

しかし、これで終わらないのが人生である。
担任J子には、ぼくと同い年の娘がいた。
もちろん他の学校だったのだが。
なんという因縁か、その2年後に、ぼくはそのJ子娘と同じ高校に行くことになったのだ。
高校で何度か、元担任J子にお目にかかりましたわい。
その時、元担任J子は、「あの問題児と娘が一緒の高校だなんて」と思ったに違いない。
さぞかしプライドが傷ついたことだろう。