「しろげ、しんたさんですか?」
「はあ」
「初めまして。私、株式会社××の○○と申します。今、お時間のほうよろしいですか?」
「はあ」
「今日は、英会話の件で、お電話さしあげたんですけど、しんたさんは英会話に興味はありますか?」
高校を卒業した頃から、こういう電話が頻繁にかかるようになった。
いつも若い女性からだった。
英会話だけではなく、他に、海外旅行やスポーツ器具などもあった。
ぼくは引っかかったことがないのでよく知らないが、この手の商売は、そういう商品を電話で案内し、興味ありそうな人を喫茶店に呼び出し、そこで契約するシステムだと聞いている。
しかも相手は、喫茶店に一人で来るようなことはない。
たいがい、他のスタッフもそこに待機しており、交渉が難航しそうな時や、新米が相手している時には、すぐさまフォロー出来る態勢をとっている。
一度、その現場を見たことがあるが、その人たちの登場の仕方は、実に臭いものがあった。
いかにも、偶然にそこに現れたかのように振舞っているのだ。
「お、偶然だね。どうしたの、こんなところで」
「はいはい、この教材ね。知ってるよ。すごくいいって、今評判になってるみたいだね」
「ぼくの知ってる人も入ってるんだけど、今度アメリカに留学するって言ってたよ。彼、高校時代の同級生なんだけど、その頃は英語がまったくだめでねえ。」
などと言っている。
しかし、ぼくは一部始終を見ていた。
その人は、カモがその喫茶店に来る前から、他のテーブルに座っていたのである。
さらに、下手な芝居は続く。
交渉人がトイレに行くと、今度はそのスタッフが、交渉することになる。
まず、交渉人がトイレに立つ。
すると、スタッフが頃合を見つけて、おもむろに立ち上がる。
そして、カモの所に来て、「入りましたか?」などと声をかけている。
「入会しても、絶対損はしませんよ。ぼくは彼女のことを、昔からよく知っているけど、決して人を騙す人じゃないから安心していいと思うよ。まあ、ここは、前向きに考えてみて」
気の弱い人なら、そこで契約を交わすことになる。
先にも言ったとおり、ぼくあこういう商売には引っかかったことがない。
こういう話には、いつも一種の勘のようなものが働くのだ。
最初の頃は、英語嫌いだったのも幸いした。
「英会話にはまったく興味がありません!」と言って電話を切っていた。
そのうち、こういう類の電話の応対に余裕が出てきた。
「しろげ、しんたさんですか?」
この時点で、相手がわかるようになった。
「そうですが」
「初めまして」
「はい、初めまして」
彼らも馬鹿ではないから、パターンを替えてやってくる。
「おめでとうございます。私、××商事の○○と言いますが、今回しんたさんが、△△という企画の、□□に選ばれました」
「へえ、そうなんですか」
「まず、企画から御説明しますと、・・・」
延々と彼女の話は続く。
ぼくは受話器を、机などの上に置き、他の作業をしている。
頃合を見はかり、受話器を取り、「よくわかりました」と言って、電話を切るのである。
だいたい、この手の電話、相手はいつもマニュアル通りに話しているものだ。
そこで、マニュアルに書いてないようなことを、こちらが答えればいいということに気が付いた。
5,6年前だったか、『財テク』に関しての電話を受けたことがある。
「はじめまして、私、××社の○○というものですが、本日は『財テク』の件で、ぜひしんた様にお知らせしたいことがありまして、電話いたしました。お時間のほうは、よろしいですか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます。ところで、しんた様は『財テク』という言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?」
「あなたは、何を思い浮かべますか?」
「え?!」
相手はここで途切れてしまう。
こちらがマニュアルにないことを言ったからだ。
そこからは、こちらのペースである。
戸惑っている相手に、こちらの持論を展開する。
「・・・ということで、あなたも早くこんな仕事から手を引いたほうがいいと思いますよ」
「・・はい、わかりました。本日はありがとうございました」
相手は早く切りたかっただろうが、充分にこちらの意思を伝えなければならないから、最低10分はお付き合いいただくことになる。
こちらの意志とは何か。
そう、「こんな電話かけるな!!」、である。
ぼくは人がいいから、直接「電話をかけるな」などと言えないのである。
それにしても、最近はこういう電話が少なくなったような気がする。
おそらく、電話よりもメールのほうが安くつくという判断からであろうが、そのおかげで、『迷惑メール』というやつが毎日何十件も来るようになった。