今日、ラジオを買った。
今までは携帯用のラジオを使っていたのだが、もう寿命なのか、感度が悪くなり、電池の消耗も早くなっていた。
まあ、780円で買ったのだから、文句も言えないのだが。
今回は、携帯用ではなく、時計付きの据え置きタイプである。
電灯線が使えるので、これからは、電池がなくなったと言って大騒ぎすることもなくなるだろう。
ぼくがラジオ派人間ということは、前にも書いたことがある。
なぜ、ラジオが好きになったかというと、理由はいろいろある。
そのひとつはプロ野球である。
小学生の頃、ぼくは西鉄ライオンズファンだった。
しかしその頃、西鉄の試合をテレビでやることは少なかった。
西鉄ライオンズの試合に触れるには、球場に足を運ぶか、ラジオで聴くかしかなかったのだ。
今はなんということはないだが、小学生のぼくには、小倉球場や平和台球場というのは、東京に行くのと変わらないくらいの遠い場所であり、年一度も行ければいいほうだった。
そこで、残された道、ラジオを聴くようになった。
前にも言ったが、ラジオの野球解説というのは、かなり詳しいものである。
ぼくは、そのおかげで野球のルールを覚えたのだった。
ライオンズが西武に行って、一時野球中継から離れた時期もあったが、今でもプロ野球をラジオで聴くという習慣は続いている。
もうひとつの理由は、祖父の影響である。
うちの祖父は極度の近眼だったため、あまりテレビを見ることがなかった。
そのため、祖父の唯一の楽しみはラジオだった。
祖父は、真空管式のラジオを使っていた。
ぼくが小学校5年か6年の時に、祖父の愛用のラジオが壊れてしまったことがある。
家の者が代わりを買いに行ったのだが、その頃のラジオはトランジスタが主流になっていた。
しかたなくトランジスタ製を買って帰ると、祖父が「こんなのラジオじゃない!」と言って駄々をこねだした。
使い方がわからなかったのである。
結局、トランジスタは返品した。
ラジオは、それまで使っていたやつを修理して使うことになった。
祖父は、毎日ラジオをつけっぱなしにしていた。
ニュース、野球、相撲、寄席、競馬、株式、何でもありだった。
耳が遠いせいもあって、いつもガンガン鳴らしていた。
夜中でも、「ピーピー、ガーガー」やっている。
「近所迷惑やけ、ラジオを切って」と言っても、お構いなしだった。
おそらくぼくも、そういう血を受け継いでいるのだろう。
休みの日にはラジオをつけっぱなしにしている。
さらに夜中にも、「ピーピー、ガーガー」やっている。
中学からは、音楽番組や深夜放送を聴きだした。
今もそうだが、洋楽の情報番組はラジオでしかやっていない。
特に洋楽全盛だった当時は、ラジオは必須アイテムだった。
「ビートルズ・フォーエバー」などの番組は、ラジオでしかやってなかった。
また、当時ブームだったフォークも、ラジオでしかやってなかった。
岡林信康・泉谷しげる・ケメ・なぎら健壱・加川良・三上寛・遠藤賢治といった人の歌は、ラジオでしか聴くことが出来なかった。
拓郎の『ライオン フォークビレッジ』なんて懐かしい番組もあったなあ。
高校に入ると、AMよりFMを聴くことが多くなった。
番組がなんとなく大人びて、おしゃれでしたね。
『FMバラエティ』の青木小夜子さんは、今どうしているんだろう?
しかし、その後はFM放送を聴くことが少なくなった。
今こちらでは、県内で4つ、下関の「カモンFM」まで入れると5つのFM局があるのだが、全然聴かない。
もっぱらAMである。
音がいいんだから、どこかホークス中継をやってくれんかなあ。
そしたら聴くのに。
東京にいる頃は、テレビを持ってなかったので、ラジオばかり聴いていた。
あの頃、どんな番組を聴いていたのかはあまり覚えてないが、いつもニッポン放送にチューニングを合わせていた。
当時、タイトルは忘れたが、秋田書店提供のラジオマンガみたいなのをやっていた。
午後9時半ぐらいからやっていた。
その番組に間に合うように銭湯から帰ってきて、サントリーのグレープフルーツ・エイドを飲みながら、『がきデカ』や『マカロニほうれん荘』を聴くのが楽しみの一つだった。
ラジオの話をしだすときりがない。
今日から新しいラジオでの生活が始まる。
幸先よくホークスが勝った。
これからが楽しみである。