K-1を見ながら書いている。
ぼくはK-1のことをよく知らないので、テレビでK-1を見るたびに、「これとキックボクシングと、どう違うんだろう?」と思っている。
またその連想から、沢村忠やロッキー藤丸の名前を思い出している。
キックボクシングは、ぼくが小学校高学年から中学にかけて、一大ブームを起こした格闘技だった。
その中でも、沢村忠はひときわ目立っていた。
プロレスでいえば力道山、野球でいえば長嶋茂雄、ボウリングでいえば中山律子的な扱いの人だった。
いわゆる時代の寵児である。
この人の半生をつづったアニメ『キックの鬼』は、クラスの男子全員が見ていた。
また、カネボウハリスが発売していた『キックガム』の点数を集めたらもらえるメダルシールは、当時の男子の憧れの一品だった。
他にも、チャンピオンベルトをもらえる企画などがあった。
沢村忠といえば、いつも思い出すことがある。
キック全盛の頃、ぼくは柔道を習っていた。
講道館指定の町道場に通っていたのだが、そこの先生の思い出である。
先生は、柔道家というよりも、実業家タイプの体格をしていた。
事実、ある会社の創業者だった。
柔道は八段で、他にも数々の古武術の段位や、柔道整復師などの国家資格を持っていた。
今も先生の名刺を持っているが、名刺にはそういう肩書きばかり書いている。
さて、この先生、肩書きどおり腕も達者だったのだが、口も実に達者だった。
確かに実績のある方で、文化勲章などももらったり、新聞雑誌に紹介されたりしていたのだが、それ以上に言うことが大きかった。
いつもいつも、自慢話を聞かされたものだ。
時には、「力道山は先生が教えた」などという、大それたことを言うこともあった。
ある日のこと。
突然先生が「今度、沢村忠が先生を訪ねてくる」と言い出した。
ぼくが「先生、沢村忠知ってるんですか?」と聞くと、先生は「おう、沢村忠はなあ、先生の弟子だ」と言った。
「沢村忠は、先生のところに泊まるんですか?」
「おう」
みんな、「すげえ」「会いたい」などと言っている。
ぼくも会いたかった。
「で、いつ来るんですか?」
「○月×日の土曜日に来る」
「え、本当ですか?」
「おう」
ということで、みんなその日を楽しみに待っていた。
ぼくは学校で柔道を習っていることを、誰にも言ってなかったので、沢村忠の件も口外しなかった。
しかし、他の人はその通っている学校でかなり広めたらしい。
そのため、沢村忠に会いたいという理由で、道場に入門する者も出てきた。
さて、その○月×日土曜日。
土曜日の練習は、午後3時から5時までだった。
しかし、その日はみな学校が引けてから、すぐに道場にやってきた。
1時半には、大半が集まっていた。
誰もが、沢村忠を見たい一心だったのだ。
しかし、練習が始まるまで、沢村忠は来なかった。
練習が始まったが、誰も真剣にやっているものはいない。
いつ沢村忠が来るのか、そればかりを気にしていた。
途中で先生がいなくなると、「沢村忠が来たんやろうか?」などと言っている。
一時して先生が戻ってくると、「先生、沢村忠は来ましたか?」などと聞く。
結局、沢村忠が来ないまま、練習は終わった。
誰もが、
「沢村忠、何しよるんかのう」
「おれ、ちょっと待っとこう」
などと言っている。
5時半を過ぎた頃、先生が戻ってきて、「何をしよるんか。早く帰りなさい」と言った。
「でも、沢村忠がまだ来てないけ・・・」と誰かが言うと、先生は「沢村忠から、さっき『夜中になる』と連絡があった」と言った。
一同「ええっ!」、であった。
しかたなく、みんな帰って行った。
しかし、ぼくは残っていた。
道場の奥に、こそーっと隠れていたのだ。
7時が過ぎた。
まだ来ない。
8時になった。
もうだめだ。
結局あきらめて、家に帰った。
しかし、ぼくは癪であった。
で、次に道場に行った時のこと。
誰もが「しんた君、沢村忠来た?」と聞いてきた。
ぼくは「おう、来たよ」と言った。
「あーあ、待っとけばよかった」
「握手もしたし、サインももらった。それと、いっしょに風呂にも入った」
「ええっ?!、風呂にも入ったと。いいのう」
8時まで待ったのである。
このくらい言っておかないと、気がすまない。
しかし、本当のところはどうだったんだろうか?
ぼくは、道場にいた先生の孫に訊いてみた。
「おい、本当に沢村忠は来たんか?」
「さあ、ぼく知らんよ。ちょっと、お母さんに聞いてくる」
『お母さん』、先生の長女である。
同じ家の敷地内に住んでいた。
しばらくして、孫が戻ってきた。
「来てないらしいよ」
話を聞いてみると、道場の練習生が、あまりに「沢村忠、沢村忠」と言って騒ぐので、先生が妬んでそういうほらを吹いたんだろう、ということだった。
そんな先生も、十数年前に他界してしまった。
今では懐かしい思い出である。
そういえば、K-1で思い出したが、今度極真の国際大会を福岡でやるらしい。
極真と言えば、空手バカ一代『大山倍達』。
彼も先生の弟子の一人である。
もちろん、先生の中では、であるが。