頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

訪問販売

ぼくは前の会社に11年いたが、そのほとんどを楽器やレコードの販売に費やした。
入社当初はビデオ部門を担当していた。
約半年そこにいたが、楽器部門に欠員が出て、ぼくに白羽の矢が立った。
理由は、ギターが弾けるから、という安易なものだった。
その後、楽器業界にどっぷりと浸かってしまい、結局会社を辞めるまでこの部門にいた。

さて、その間一度も異動がなかったわけではなかった。
都合1年間、ぼくは楽器部門を離れている。
その間何をやっていたのかと言うと、訪問販売である。
最初の訪問販売は、昭和62年2月から3月にかけての2ヶ月間だった。
この時は精鋭部隊として、訪問販売に借り出された。
販売する商品は、当時の花形であったテレビとビデオである。
自分の売り場のことは一切考えなくてもいいから、とにかくテレビとビデオを売ってこい、というものだった。
その頃の店長は、「売り上げさえ上げてくれれば、あとは喫茶店にこもっていようが、パチンコをやろうが、何をやってもかまわない」という思想の持ち主で、そのことをよく朝礼で言っていた。
お言葉に甘えて、ぼくたちはいつも、朝礼が終わると同時にある喫茶店に向かっていた。
その喫茶店は、マンガ喫茶とまでは行かないが、かなりの量のコミックを置いていた。
そこで午前中を過ごし、その後行く宛てのある人はそこに向かい、行く宛てのない人はそこに留まった。
居残り組は、あいかわらずマンガを読んでいる。
一方のお出かけ組はというと、こちらも早々と用を済ませて、この喫茶店に戻って来る。
そしてまたマンガの続きを読んでいる。
この喫茶店は、まさにわが会社の出張所であった。

もちろん、店に来るのはぼくたちだけではなかった。
時折、商売敵も現れた。
そして彼らは、実に卑怯なことをした。
ぼくたちの会社に電話して、「お宅の社員が、毎日喫茶店でサボっていますよ」とチクったのだ。
当然そのことは店長の耳にも入った。
しかし、店長はそのことを咎めなかった。
他の人に、「喫茶店、けっこうじゃないか。息抜きなしに訪販なんかやっとれるか。売り上げも上がってるんだから、いいじゃないか」と言っていたらしい。

しかし、そのことがあってから、午前中はそれまでの喫茶店に集合するのだが、モーニングを食べ終わってからは、場所をかえるようにした。
制服を着ているため、集団だとまずいので、ばらばらに散らばった。
ぼくがよく行ったのは、その喫茶店から10キロほど離れた場所にある、本格的なマンガ喫茶だった。
コミックの数は、前の喫茶店と比べものにならないほど多く、これらの本を全部読むのは、2ヶ月という限られた時間では無理だった。
そこで、ぼくが読んだのは、昔読んだことはあるが、最終回まで読まなかった本だった。
これなら所々のストーリーは知っているので、読むペースが速くなる。
おまけに、そのマンガを通して、それを読んだ時代の想い出も蘇る。
この喫茶店で読んだ大量のマンガにより、想い出が整理できたということは、実に大きなことだった。
そのおかげで、こうして毎日の日記のネタになるのだから。
もし、その喫茶店でマンガを読む時間がなかったとしたら、つまりそういう有効な無駄な時間がなかったとしたら、おそらくこのホームページはなかっただろう。
想い出も、記憶の底に眠ってしまい、一生日の目を見ることがなかっただろう。

さて、その訪販期間中、ぼくはかなりの売り上げを上げた。
しかし、それはお客さんのところに足を運んで、売ったのではなかった。
なぜなら、ぼくはずっとマンガを読んでいたのだから。
では、どうやって売ったのか?
それは、いろんな所にアンテナを張り巡らしていたのである。
訪販組に抜擢された時に、ぼくは友人知人や顧客に電話をかけまくった。
そして、「誰か買う人がおったら紹介して」と言っておいた。
さすがに、買う人はすぐには見つからなかった。
しかし、1ヶ月が過ぎた頃から、だんだん当たりが出てきた。
マンガ喫茶にいる時も、ポケベルは鳴りっぱなしだった。
終わってみると、ぼくは売り上げ2位になっていた。

後日、成功談を聞かせろ、と言ってきた。
「どういう時が、一番きつかったですか?」
マンガばかり読んでいたので、こういう質問にはお答え出来ない。
しかたないので、こう答えておいた。
「はい。午後が一番きつかったです」
「え?それは、どうしてでしょうか?」
「首が痛くなったからです」