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レイジー・ボーンズ

最近、CMで『リンゴの木の下で』という歌がかかっている。
からして、歌っているのはおそらく吉田日出子だと思う。
とすれば、『上海バンスキング』時の録音だろうか?
ちょっと懐かしかったので、積み重なったCDの中から『上海バンスキング』を探してきて、ちょっと聴いてみた。
やはり吉田日出子は歌に味がある。
後に松坂慶子主演で映画化され、同じ歌を歌っていたのだが、話にならなかった。

さて、このアルバムの中でぼくが最も好きな歌は、『レイジー・ボーンズ』である。
解説を見ると1933年の作品だと書いてある。
今から約70年も前の歌だ。
あの名曲『スターダスト』を作ったホーギー・カーマイケルの作曲になっている。
道理で心に染みるはずである。
ところで、ぼくはこの歌の曲もさることながら、歌詞を大いに気に入っている。
タイトルどおり、怠け者の歌である。
訳詞は堀内敬三さんになっている。
「朝は 遅くまで/ゆっくり 彼は寝ます/仕事は 憂うつ/寝床が天国・・・いつも月給の 稼ぎもないくせに/泰然自若 ホントーに/わしゃ 負けたです」
この歌を初めて聴いたのは、前の会社で午後11時,12時まで仕事をしていた時期だった。
この歌を聴いて、羨ましく思ったものである。
それと同時に思い出していたことがある。
それは、ぼくが『レイジー・ボーンズ』だった時のことである。
このアルバムは、発売されてすぐに買ったから、1983年ということになる。

ぼくが『レイジー・ボーンズ』だった時代は、その年をさかのぼること6年、1977年のことだった。
5月末から7月末までの、約2ヶ月間、そうちょうど今時期である。
詳しくは、エッセイ『長い浪人時代(孤独と焦燥)』を読んでもらったらわかると思うが、朝はだいたい9時に起きていたと思う。
それから、ギターを弾いて遊び、昼寝する。
夕方起き出して、テレビの再放送を見る。
2ヶ月間これの繰り返しだった。
もちろん母親からは小言を言われていた。
「大の男が、いい歳して仕事もせんでから」
「だって、仕事がないもん」
「仕事はいくらでもあるやろ。あんたがやる気がないだけやないね」
「やる気はある」
「本当にやる気があるなら、頭下げて『仕事させて下さい』と言うて回るはずやろ。あんた見よったら、『あそこが駄目やったけ、ここも駄目やろう』と勝手に思い込んで、逃げとるだけやないね。こっちもね、ただで飯を食わせよるわけじゃないんやけね。明日仕事を探しきらんかったら、もう出て行き!」
最後は、いつも強い口調で言われていた。
「わかった。明日探しに行く」とその場を逃れるが、翌日はまた『レイジー・ボーンズ』の生活に戻る。

実際はこんな生活を繰り返すぼくも辛かったのだ。
出来ることなら、真面目に人並みに働きたいと思っていた。
しかし、「何とかしなければ」とは思うのだが、どうも行動を起こせないでいる。
それは、26回も面接に落ちたという恐怖心から来ていたのだ。
そういう経験があるから、初めて面接に受かった時の喜びは大きかった。
そういう経験を、またしたくなかったから、嫌な仕事でも何とか続けてこれた。
ま、そういうふうに考えれば、そういう経験も無駄ではなかった、ということになるだろう。

ちなみに、「泰然自若」という言葉は、『レイジー・ボーンズ』を聴いた時からぼくの座右の銘になっている。
どんな時でも、「泰然自若」であろうと努める自分がいる。