夜中、前頭葉に痛みが走り、目が覚めてしまった。
ここ数日この状況が続いているので、「もしや?」と一応思った。
どうも、伊藤さんの死以来、軽いクモ膜下ノイローゼになっているようだが、原因は単純なものだった。
ここ数日暑い夜が続いているので、パンツ一枚で横になっている。
もちろん、夏布団である。
そのせいで、体が冷え切ってしまい、軽い風邪を引いてしまったのだ。
こういう時は、体を温めればすぐに治る。
案の定、厚手の布団に替え、Tシャツを着て寝ると、朝には頭痛は治っていた。
クモ膜下ノイローゼはいつまで続くんだろう。
頭に何か違和感があると、すぐに疑ってしまう。
そうは言いながらも、病院に行く気などさらさらない。
もし本当にクモ膜下だったとしても、病院には断固行かない。
しかし、癌と違い、こればかりは自然治癒力も無効だろう。
病院に行かないから、そのまま治らずに野垂れ死ぬのは必至である。
しかし、もしそうなったら、病院の臭いを嗅がなくてすむだけ幸せと思うことにしよう。
昔、癌ノイローゼに陥ったことがある。
中学1年の時だったか。
『サインはV』でジュン・サンダースが肩の骨肉腫で死んだのを見た後のことである。
肩に痛みがある時、「骨肉腫じゃないだろうか」と思うようになった。
その頃は今と比べるとかなり神経過敏だったから、それはもうのた打ち回るほどの苦しみだった。
その後も、胃に痛みがある時は「胃癌じゃないか」とか、胸が痛い時は「肺癌じゃないか」と思っていた。
ようやく、その「癌ノイローゼ」から解放されたのは、高校1年の時だった。
その頃は柔道やギターなど、打ち込めるものがあった。
人間、無為に時を過ごしていると、変な妄想に悩まされるものである。
逆に、前を向いて何かに打ち込んでいると、そういう妄想から逃れられる。
ということをその時初めて知った。
また、癌ノイローゼから逃れられたのは、遠藤周作のおかげもあった。
彼のエッセイに、その「癌ノイローゼ」のことが書いてあった。
自分だけが「癌になっているんじゃないか」と悩んでいると思っていたのだが、「狐狸庵先生も悩んでいるのだ」と思ったとたん、気が軽くなった。
そのエッセイを読んでいくうちに、だんだん悩むのがバカらしくなったのを覚えている。
その後、癌に対しては自分なりの認識を持つに至り、「癌になっても必ず治る」という信念を持っている。
しかし、新たな敵「クモ膜下」に対しては何ら知識も持たない。
予防は出来るらしいが、それが本当の予防になるのか、ということすらわからない。
とにかく、頭に関しては戦々恐々とした状況である。
意味もなく頭が痛くなる時などは、実に憂うつである。
頭痛の原因探しをしなければならない。
原因さえつかめれば、頭痛恐るにいたらずである。
しかし、今日のように原因がすぐにわかるといいのだが、わからないことのほうが多い。
そういう理由から心を痛めるのである。
そんなことを悩む暇があったら、さっさと病院に行って治せばいいと思われるかもしれない。
しかし、それはできない。
『親知らず』に対して失礼だからである。
大きな穴が開き、神経が出て、毎日出血しているにも関わらず、治療もせず放っているのだ。
たかが頭痛ごときで、病院なんかに行けるわけないじゃないか。
まあ、飽きるまで、頭痛の原因探しでもやっていきますわい。