食事を終え、女子を駅に送って行ったあとに、ぼくたち男性陣は中央高速道に乗った。
もう、午後10時を過ぎていた。
夜の中央高速道は、昼間とは一転して、神秘的な風景をかもし出していた。
車はほとんど通ってない。
昼間美しく輝いていた相模湖は、今にも幽霊が出てきそうな不気味な雰囲気が漂っていた。
運転したのは昼間免停を受けたテツローだった。
昼間運転したアラカワは疲れていた。
キタミは免許証のことで頭が一杯のようだ。
ぼくだけが元気だった。
「一日に二回も富士山に行くのは、おそらくおれたちぐらいやろね」
こんな軽口を叩きながら、この珍道中を楽しんでいた。
中央高速道を降り、再びスバルラインに入った。
さすがに自家用車は走ってない。
しかし、渋滞していた。
気がつくと、ぼくたちの車は、自衛隊のトラックの列の中にいた。
夜間演習でもあるんだろうか、そのトラックの荷台には、たくさんの自衛隊員が乗っていた。
彼らは、こちらをじっと見ている。
「何か不気味だなあ」
おそらく、彼らもぼくたちのことを不気味に思ったに違いない。
五合目に着いたのは、もう午前1時近かった。
しかし、まだ売店はやっている。
「すいません。先ほど電話したものですけど」
「はいはい、ちゃんとありますよ。危うく捨てるところでしたよ」
中を確認すると、確かにキタミのものだった。
そこで謝礼を言い、ぼくたちは下山した。
その日はテツローの家に泊まることになった。
ぼくは、この時初めてテツローの家に泊まった。
余談だが、ぼくはその後、この家に幾度となくお世話になることになる。
そこには、ぼくとテツローが同い年というのもあったが、何よりも大きかったのは、テツローの親が、ぼくと同じ福岡県の出ということだった。
ぼくの九州弁を、テツローの両親は懐かしがってくれた。
ぼくとしても、言葉が通じるので居心地が良かった
4人が起きたのは、翌朝、いやもう午後2時を過ぎていた。
ぼくらは昼食をすまし、そこでテツローと別れた。
町田から小田急線に乗り込み、新宿に向かった。
新宿で他の二人と別れた後、ぼくは一人紀伊国屋書店へと向かった。
ところが、悪いことに、途中から雨が降り出した。
前日が晴れていたため、ぼくは傘を用意していなかった。
あまり傘をささないぼくだが、その時はTシャツに海パンという薄着である。
びしょ濡れになると、肌が透けて見えるのだ。
こうなると、赤恥ものである。
それにかなり肌寒くなっていた。
帰りの電車に乗った頃には、ぼくは鳥肌が立っていた。
しかも、周囲の目は、時宜に合わない格好をしているぼくに降り注がれている。
「寒い」「恥ずかしい」、という気持ちが交互にやってくる。
「早く駅についてくれ」と願ったものだった。
ぼくが当時住んでいたのは、高田馬場であった。
新宿から山手線で二駅、時間にして5分足らず。
この5分足らずの時間が、こんなに長く感じたことはなかった。
「昨日泳ぎもできんかったし、こんな格好するじゃなかった」
今更のように、海パンで出かけたことを悔やんだ。
下宿に帰って早々、ぼくは銭湯に行った。
体を充分に温めた、が相変わらず傘をささないぼくの習性が災いした。
翌日、しっかり風邪を引いていた。