頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

富士山 その4

食事を終え、女子を駅に送って行ったあとに、ぼくたち男性陣は中央高速道に乗った。
もう、午後10時を過ぎていた。
夜の中央高速道は、昼間とは一転して、神秘的な風景をかもし出していた。
車はほとんど通ってない。
昼間美しく輝いていた相模湖は、今にも幽霊が出てきそうな不気味な雰囲気が漂っていた。

運転したのは昼間免停を受けたテツローだった。
昼間運転したアラカワは疲れていた。
キタミは免許証のことで頭が一杯のようだ。
ぼくだけが元気だった。
「一日に二回も富士山に行くのは、おそらくおれたちぐらいやろね」
こんな軽口を叩きながら、この珍道中を楽しんでいた。

中央高速道を降り、再びスバルラインに入った。
さすがに自家用車は走ってない。
しかし、渋滞していた。
気がつくと、ぼくたちの車は、自衛隊のトラックの列の中にいた。
夜間演習でもあるんだろうか、そのトラックの荷台には、たくさんの自衛隊員が乗っていた。
彼らは、こちらをじっと見ている。
「何か不気味だなあ」
おそらく、彼らもぼくたちのことを不気味に思ったに違いない。

五合目に着いたのは、もう午前1時近かった。
しかし、まだ売店はやっている。
「すいません。先ほど電話したものですけど」
「はいはい、ちゃんとありますよ。危うく捨てるところでしたよ」
中を確認すると、確かにキタミのものだった。
そこで謝礼を言い、ぼくたちは下山した。

その日はテツローの家に泊まることになった。
ぼくは、この時初めてテツローの家に泊まった。
余談だが、ぼくはその後、この家に幾度となくお世話になることになる。
そこには、ぼくとテツローが同い年というのもあったが、何よりも大きかったのは、テツローの親が、ぼくと同じ福岡県の出ということだった。
ぼくの九州弁を、テツローの両親は懐かしがってくれた。
ぼくとしても、言葉が通じるので居心地が良かった

4人が起きたのは、翌朝、いやもう午後2時を過ぎていた。
ぼくらは昼食をすまし、そこでテツローと別れた。
町田から小田急線に乗り込み、新宿に向かった。
新宿で他の二人と別れた後、ぼくは一人紀伊国屋書店へと向かった。
ところが、悪いことに、途中から雨が降り出した。
前日が晴れていたため、ぼくは傘を用意していなかった。
あまり傘をささないぼくだが、その時はTシャツに海パンという薄着である。
びしょ濡れになると、肌が透けて見えるのだ。
こうなると、赤恥ものである。
それにかなり肌寒くなっていた。
帰りの電車に乗った頃には、ぼくは鳥肌が立っていた。
しかも、周囲の目は、時宜に合わない格好をしているぼくに降り注がれている。
「寒い」「恥ずかしい」、という気持ちが交互にやってくる。
「早く駅についてくれ」と願ったものだった。
ぼくが当時住んでいたのは、高田馬場であった。
新宿から山手線で二駅、時間にして5分足らず。
この5分足らずの時間が、こんなに長く感じたことはなかった。
「昨日泳ぎもできんかったし、こんな格好するじゃなかった」
今更のように、海パンで出かけたことを悔やんだ。

下宿に帰って早々、ぼくは銭湯に行った。
体を充分に温めた、が相変わらず傘をささないぼくの習性が災いした。
翌日、しっかり風邪を引いていた。