9月になって、例の友人が「ポプコンに応募した?」と聞いてきた。
「いいや」
「どうして?」
「もう、あの歌はうたわん」
「え?」
「難しいんよ。おれにはとうてい歌えん」
「そうか。もったいない…」
ということで、その後『ショートホープ・ブルース』を人前で歌うことはなくなった。
それから10年が経った頃のことである。
ある友人から、「今度結婚するんよ。ぜひ弾き語りやってもらいたいんやけど」と言われた。
「弾き語りか…。拓郎の歌でいいか?」
「いや、しんたのオリジナルがいい」
オリジナルと言われても、ぼくがその頃人前で歌っていた歌は、すべて別れの歌ばかりだった。
「別れの歌しかないぞ」
「いや、あれだけオリジナルがあるんやけ、何かあるやろ」
その時、ぼくの頭に『ショートホープ・ブルース』が浮かんだ。
「ないことはないけど、ずっと歌ってない歌やし…」
「そうか。じゃあ、それ歌って」
「ショートホープ・ブルースか…」
ぼくは途方に暮れた。
10年以上も歌ってない歌である。
しかも、披露宴には200人以上の人が来るという。
渋々引き受けたものの、ぼくはその時から緊張してしまった。
とにかく練習である。
幸い、その当日勤めていた会社には、使っていないスタジオがあった。
ぼくは、仕事が終わったあとで、そのスタジオで練習することにした。
さすが10年のブランクである。
元々うまく歌えない歌が、さらにうまく歌えなくなっている。
それでも、毎日1時間以上は練習した。
家に帰っても練習で、結婚式までの2ヶ月間は、まさに『ショートホープ・ブルース』漬けだった。
そして当日。
午前中、ぼくは家で最後の練習をした。
ところが、その時不思議なことが起きた。
『ショートホープ・ブルース』を歌っている時、急に思考と体がバラバラになるような感じがした。
そのとたん、勝手に口が動き出した。
どこにも力が入ってない。
おそらくこういう状態を自然体と言うのだろう。
ぼくはそう思いながら、勝手に歌う自分の口を見ていた。
さて、いよいよ本番である。
やはり自信がない。
横に後輩が座っていた。
彼はかつてバンドをいっしょにやっていたメンバーで、この『ショートホープ・ブルース』を知る、数少ない人間の一人だった。
「おい、やっぱり他の歌をうたう」
と、ぼくが弱音を吐くと、後輩は「何言いよるんね。ちゃんとショートホープ歌って下さい」と言う。
そこで、ぼくは開き直った。
もう矢でも鉄砲でも持ってこい、といった気分だった。
「では、新郎のお友達を代表して、しろげしんたさんに歌ってもらいましょう」という無責任なMCの声と共にぼくは登場した。
「今日は何を歌ってもらえますか」
「はい、オリジナルで『ショートホープ・ブルース』という歌を」
「では、お願いします」
ぼくは歌い始めた。
昼間の状態がまだ続いているようで、勝手に口が動き出した。
意識は、そこにいる人、一人一人を見る余裕があった。
およそ4分後、歌い終わったぼくに待っていたものは、大きな拍手だった。
人前で歌って、これほど感動したことはなかった。
席に戻ると、友人たちがぼくに駆け寄った。
「しんた、よかったぞ」
彼らは異口同音に、ぼくの歌を讃えてくれた。
それ以来、ぼくは人の結婚式で歌を依頼されると、決まってこの歌をうたってきた。
なぜなら、生まれてからこの方、一番多く歌った歌であるからだ。
あいかわらず自分のものにはなってないが、練習の重みはどのオリジナル曲よりも勝っている。
その分、この歌の持つ独特の特徴や癖を熟知しているつもりである。
おそらくこの先も、この歌をうたっていくだろう。
いつか、「やさしすぎる君の頬」に再開する日のために。
ちなみに、歌のおにいさんに入っている『ショートホープ・ブルース』は39歳の時に録音したものである。