頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

会話文

ぼくの日記を読んだ人から、よく「会話文が多いですね」と言われる。
「そうかなあ」と改めて日記を読んでみると、なるほど会話文が多い。
最近、この日記からエッセイに転載した『シャミン党一座』シリーズなどは、ほとんど会話文である。

そういえば、ぼくは小学生の頃から、作文によく会話を書いていたような気がする。
現物が残っていないので『よく書いていた』と断定は出来ないないのだが、印象に残っている作文は確かに会話文が多かった。

小学5年生の時、「ことわざを使った作文を書いてこい」という宿題が出たことがある。ぼくは元々人と同じ言葉を使うのが嫌いなたちなので、誰もが知らないようなことわざを使ってやろうと思い、わざわざ本屋に行って、ことわざ事典でそれを探した。
そして、「これは!」ということわざに出会った。
それは『勝って兜の緒を締めよ』だった。
そのことわざを見つけた時、「これを知っているやつは、まずいないだろう」と思ったものだ。
もちろん、ぼくもそのことわざを知らなかった。

そのことわざを、ぼくは陣地取りという鬼ごっこの一種に絡ませることにした。
作文には、敵陣とのやりとりを中心に書いたのだが、その文章のほとんどが会話文だった。
意図的にそうやったのではなく、ただ単に、途中の能書きを書くのが面倒だったからだ。文章としては全体にいい加減なものだった。
ことわざと言えば、最後に「こういうのを『勝って兜の緒を締めよ』というのだろう」と、とってつけたように書いただけで、そこまでの本文とはまったく関係のないものだった。
したがって、点数も大してよくなかった。
が、会話文が面白かったのか、クラスの笑いが取れたことに、ぼくは満足していた。

学生時代は、それ以降、作文を書くことがなくなった。
というより、小学6年生以降は、宿題をしていったことがないのだ。
当然、作文も書かなかったということになる。

久しぶりに作文を書いたのは、社会に出てからだった。
前にも書いたことだが、ぼくは約1ヶ月の間、出版社でライターの真似事をやっていたことがある。
その時、上司から「喫茶店をテーマにして、作文を書いてこい」と言われた。
そこでぼくは、当時よく通っていた喫茶店でのやりとりを書くことにした。
が、あいかわらず能書きを書くのが面倒に感じる。
そういうことで、その作文をすべて会話文で書くことにした。
ところが、上司はそれが気に入らなかった。
その作文を見たとたん、「おい、しんた。何かこれは。これのどこが作文なんか!?」と大声で怒鳴った。
よせばいいのに、ぼくは応戦した。
「どこがって、そのすべてが作文ですよ」
「誰一人、こんなわけのわからんことを書いてないぞ!」
「わけがわからん? ちゃんと喫茶店での日常会話を、文章にしているじゃないですか」
「おれは認めんぞ!!」
その時から、上司とぼくの確執が始まったのだった。

以上見てきたように、ぼくが会話文を多用するのは、能書きを書くのが面倒だからである。
しかし、面倒だからとは言え、こうやってホームページを張っている以上、そんないい加減な文章をお見せすることは出来ない。
そこで、会話文の行間に、意味を持たせることにした。
決してそれが確立したものだとは言えないが、ぼくなりに前向きな努力だけはしている。
ただ、それが伝わっているかどうかは、別問題ではある。