【続・素朴な疑問】
先日(4月30日)の会見でも、ぼくの疑問は解けなかった。
イラクでの事情聴取と同じく、「怯えてくれ」と命令されたと言っていた。
元自衛官は、命の保証はあるものの、生きた心地がしなかったとも言っていた。
が、何度も言うようだが、生きた心地がせずにパニック状態にある人間、つまり強度に怯えている人間を捕まえて、「怯えてくれ」と言うだろうか。
日本人の怯え方は、犯人たちには怯えてないように見えたのだろうか。
もう一つ疑問に思ったことがある。
一部報道で、18歳のことを「あれだけ堂々とした意見を言えるとは、見上げたものだ」などと、手放しで褒め称えていたが、これまた腑に落ちない。
彼はなぜ、自分の行動を振り返るのに、原稿(資料か?)に目を落としていたのだろう。
あれだけの体験をしたのだから、原稿などに目を落とさずとも、充分に記憶に残っているはずである。
もし恐怖でその記憶が欠落していたとしたら、原稿に書くことも出来ないだろう。
彼は身振り手振りで、体験したことをしゃべっていた。
確かに話はうまい。
しかし、「えらく武器に詳しいな」という感想を持った以外に、伝わってくるものは何もなかった。
おそらく彼は、恐怖体験の語り手としては、雄弁すぎたのだろう。
マスコミは、あれで充分だったのだろうか。
【自衛隊】
ぼくは、『自衛隊』のイラク派遣には反対だった。
いや、派遣そのものを反対していたわけではない。
『自衛隊』という名で行ってもらいたくなかったのだ。
つまり、せっかく日本という国を代表して行くのだから、かつてイラク人が憧れた『日本軍』として行ってもらいたかったということだ。
そして、「決して第二次世界大戦で日本は死んだわけではない」、「武士道はちゃんと生きている」、「サムライはトム・クルーズの映画がラストではない」、ということを世界中の人たちに示してほしかった。
【徴兵制度】
もし今の日本に、徴兵制度というものがあったとしたら、女性はともかく、後の二人は、ああいう危険を冒さずに、かつ自己責任を問われずに、イラクに入ることが出来たのだ。
そうすれば、劣化ウランの研究も可能になっただろう。
戦場での貴重な映像も撮れただろう。
何よりも、イラクの現状を日本国民に伝える、という彼らの崇高な願いが叶ったことだろう。
ああ、そうだった。
自衛隊なら、今すぐにでも入れるじゃないか。
元自衛官はかつていたわけだから、再入隊すればいいわけだし、18歳はそこそこ頭がいいのだから、入隊試験は難なくパス出来るだろう。
そこでちょこっと鍛えてもらって、イラク行きを志願すればいいのだ。
変なところに迂回しなくても、夢はそこで叶うはずだ。