『敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し』
『皇国の興廃この一戦にあり。各人いっそう奮励努力せよ』
前にも書いたかなあ。
まあ、何度書いてもいいや。
まさに名文である。
これほど日本人の血を沸かす言葉はないだろう。
実は昨日、宗像大社に行ってきた。
「東郷元帥の言葉が、どうして宗像大社と繋がるのか?」
と思われる方もいるかもしれない。
いや、大いに関係あるのだ。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』に、日本海海戦が火ぶたを切った時のことを、玄界灘上にある宗像大社沖津宮(沖ノ島)の神職宗像繁丸の付き人佐藤市五郎の談として紹介している。
『・・・・宗像繁丸が受話器をとりあげると「バルチック艦隊が沖ノ島近海にせまった」という望楼の水兵の声がとびこみ、すぐ切られた。宗像は突ったったままみるみる血相が変わり、その場で褌一本の素っ裸になった。「市五郎、来い」というなり、海岸へ駆けおり、岩の上から海へとびこみ、潔斎をしたあと装束をつけ、社殿へかけのぼった。坂をのぼりつめたとき、西南の沖にあたって、濛気がピカッと輝いて消えた。そのあと、身のすくむような砲声がきこえた。・・・・。宗像は神殿で懸命に祝詞をあげた。その間、砲声が矢つぎばやにひびいた。・・・・』
つまり、日本海海戦は宗像大社のすぐそばで行われたのだ。
今年は日露戦争開戦100周年である。
日本海海戦は、その翌年の5月27日だったから、もしかしたら来年のその日、何か催し物が行われるかもしれないと思い、寄ってみたのだ。
しかし、そこでもらったパンフレットには、今年の行事しか書かれていなかった。
まあ、八幡様のような戦の神様ではないのだから、何もなくてもしかたがない。
だが、宗像の神様は日本海海戦を知る唯一の神様なのだから、ぜひともやってもらいたい行事ではある。
それはそうと、日露戦争からたった100年しか経ってないのか。
もうとっくに100年以上過ぎていると思っていた。
しかし、学生時代に日本史で覚えた年号は、確かに1904年だった。
ということは、年号を時代と関連づけて覚えずに、ただ暗記の対象ととして覚えていただけということになる。
つまり、点数とるだけの勉強をやっていたということか。
実に味気ないものである。
さて、その日露戦争で手に入れたのが、南樺太だった。
その後韓国と合併し、一等国の仲間入りを果たした。
しかし、日露戦争から40年後、対米戦に敗れたために韓国や台湾は日本の手から離れ、南樺太はソ連に戻った。
が、それだけでは終わらなかった。
千島列島を盗まれたのだ。
そのため、今の日本の領土は、日清戦争以前より、実質的には減っているのだ。
まあ、韓国や台湾に関しては、行く行くは独立させるものだったから、その期日が早まっただけの話だが、千島列島は明治以来の日本の領土である。
明治以来、ご先祖様が必至に守ってきた領土なのに、一体何と言ってお詫びしたらいいのだろう。
このままではいけない。
何とかして泥棒国家のロシアから千島列島を取り戻し、同じく泥棒国家である中国から尖閣諸島を、その子分である韓国から竹島を、死守しなければならない。
宗像の本殿に参り、その力添えをお願いしてきた。