中国展でのアルバイトが終わり、ぼくはボンヤリとした生活を送っていた。
1ヶ月半のバイト期間中、一日も休まず働いた疲れが出たのだ。
アルバイトの二日酔い状態と言ったらいいだろうか。
しばらくぼくは、何もやる気が起こらなかったのだ。
その中国展で稼いだアルバイト料は、15万円程度だった。
しかし、ぼくはそのお金には何の興味もなかった。
お金を稼ぐのが目的で、そのアルバイトをしていたわけではなかったからだ。
ではいったい何が目的だったのかというと、働くことだった。
とにかく、大学受験失敗以降続いた約半年間のスランプは、ぼくにとっては長すぎた。
そのため、体が働くことを欲したのだ。
もし、その時立ち直らなかったら、おそらく今もぼくは立ち直ってなかっただろう。
そういう意味で、中国展のアルバイトは、ぼくの人生において、一つの転機だったといえるだろう。
さて、そのアルバイト料だが、すべて母に渡した。
母が「何に遣おうか?」と言うので、「風呂の修理代にでもすればいいやん」と言った。
実は、ぼくが中国展でアルバイトを始める少し前から、家の風呂が壊れていたのだ。
当時、ぼくの家の風呂はまだガス風呂ではなく、石炭風呂だった。
石炭風呂には、煙突がつきものである。
その煙突が台風のせいで割れてしまったのだ。
それが原因で、煙突を伝わった風が釜の中の煤を吹き上げるようになった。
そのせいで風呂場はいつも煤だらけになっていたのだった。
たまたまそれを見たガス屋が、「ガス風呂に換えたらどうですか?」と言ってきた。
母が「いくらくらいかかるんですか?」と聞くと、ガス屋は「そうですねえ、詳しく見積もってみないとわかりませんが、10万円ほどはかかると思います」と言う。
10万円、貧乏なぼくのうちにとっては大金だった。
しかも、まったく仕事をしない扶養家族を一人抱えている状況だ。
母は「10万円ですか。今はちょっと買えません」と言って、断った。
ガス屋が帰ったあと、いつものように母の小言が始まった。
「あんたが、ちゃんと仕事をしてくれたら、すぐにでもガス風呂に換えられるのにねえ」
「それとこれは関係ないやん」
「関係なくはない。どうして、あんたは仕事をせんのかねえ」
「仕事がないんやけしょうがないやん」
「仕事がないんやない。仕事はいくらでもある」
「でも、採用されんやん」
「それは、あんたに仕事をする気がないけよ。相手はそれを見抜いとるけ採用せんのよ」
「仕事をする気はある」
「じゃあ、さっさと探してきなさい」
「明日探してくるっちゃ」
「何であんたは、いつも『明日』と言うかねえ。何で『今から』と言えんのかねえ」
「いちいちうるさいねえ。ちゃんと働いて、風呂ぐらい、いくらでも直してやる」
そういうやりとりが数ヶ月続き、ようやくぼくは中国展で本格的にアルバイトするようになったのだった。
バイト料を母に渡す時、そういういきさつがあったのを思い出したわけである。
母は当然のような顔をして、それを受け取った。