頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

歌のおにいさん(6)

デビューの曲目を決めた日、ぼくは例のごとく押し入れにこもって、その歌を練習をした。
そして次の朝、教室に入るなり、その歌手を真似て、いやらしくその歌を歌った。
みんなの視線がぼくに集まった。
「誰、あの人?」
「H中出身の、しんたという人らしいよ」
「変な人やね」
歌っている最中、そんな声がぼくに聞こえてきた。
が、ぼくはそんな声を無視して歌い続けた。

ということで、その作戦は見事に成功した。
クラス中の人がぼくの存在を認め、ぼくのイメージは「暗い人」から「面白い人」に変わった。
もちろん『月夜待』の君も、ぼくの存在を知ることになった。

さて、その歌はいったい何だったのか?
勘のいい人なら、もうおわかりだと思うが、その歌は、ぴんからトリオの『女のみち』である。
言わばこの歌が、『月夜待』の君に捧げる最初の歌となったのだった。

その日から、ぼくは毎日歌を歌い続けた。
そのたびに注目度は増してくる。
『月夜待』の君も、ぼくに関心を持ったようで、時折声をかけてくるようになった。
そのたびにぼくはバカをやっていた。
もちろん本気でバカをやっていたわけではない。
照れ隠しである。

さて、毎日歌を歌ってはいたものの、いつまでも『女のみち』を歌っていたわけではない。
歌本を持っていっては、知っている歌を片っ端から歌っていたのだ。
それを続けていくうちに、ぼくの中である変化が起きた。
最初は目立つために始めた歌だったが、そのうちそれが癖になってしまい、歌わないと落ち着かなくなっていたのだ。
休み時間はもちろんのこと、授業中も自然に歌が出てくるようになっていた。

そんなある日のこと、ぼくはひとつの武器を手に入れることになった。
人生最大の武器といってもいいかもしれない。
その武器とは、『吉田拓郎』である。
いつものように家に帰ってFMを聞いていると、ちょうど吉田拓郎の特集をやっていた。
最初は何気なく聞いていたのだが、そのうち身を乗り出して聞くようになり、ついにぼくの体中は拓郎でいっぱいになった。
拓郎洗礼の瞬間である。
とにかくすごい衝撃だった。
放送が終わった後も、拓郎の歌がずっとぼくの中で鳴り響いていた。

拓郎の何に衝撃を受けたのかというと、その歌詞であり、その曲である。
彼は決して歌が上手い方ではない。
だが、彼の歌を聴くと、そんなものどうでもいい、という気がしてくるのだ。
妙に説得力のある歌いっぷりは、『自分の作った歌』、という誇りからくるものなのだろう。
「やはり、オリジナルだ」と、ぼくはその時漠然と思ったものだった。

とにかく、その翌日から、ぼくは他の歌を一切歌わなくなった。
そう、拓郎オンリーになったのだ。