愛に不慣れな小さな舟で
大きな海をぼくは漕いでいく
君の待ってる遙かな島に
たどり着くために
古い地図は破れてしまい
今どこを漂っているんだろう
君の島に輝くという
星を頼りに進む
嵐が来ても諦めずに
とにかく前を向いて
ぼくは舟を漕いでいくんだ
大きな波が叩きつけても
恐れずに進もう
いろんなことがぼくを迷わせ
行く手を阻むこともあるけど
夢を捨てず進んで行こう
幸せを信じて
ぼくは舟を漕いで行くんだ
数え切れない時間を超えて
ぼくは舟を漕いで行くんだ
君の島を目指して
嵐が来ても諦めずに
とにかく前を向いて
ぼくは舟を漕いでいくんだ
君の待ってる遙かな島に
たどり着くために
ぼくの小学生の頃の夢は、八幡製鉄所で勤めることだった。
なぜそうだったかというと、父が勤めていた会社だったし、何よりも郷土の誇りだったからだ。
しかし、そう言うと、いつも「夢が小さいねえ」と言われたものだった。
その頃の小学生男子の夢というのは、「野球選手になる」が圧倒的に多かったから、「八幡製鉄所の社員」と答えるとそう思えるのも仕方ないだろう。
だけど、ぼくはその頃真剣にそう思っていたのだ。
その夢が醒めたのは、中学に入ってからだった。
公害問題が深刻な頃で、その公害をばらまいている企業の筆頭が八幡製鉄所だったのだ。
「あんな悪臭をばらまく企業に誰が入るか!」と思い、それ以来その夢を断ったのだった。
高校時代の夢は、まず革命家であった。
わけもわからずに、ただ『革命』という言葉に憧れていたわけだ。
『地球防衛軍』という言葉に憧れて、某宗教団体に入った奴らと、発想は同じである。
しかし、その夢はすぐに醒めた。
なぜなら、それからすぐに、すごい夢に出会ったからである。
それはミュージシャンになることだった。
吉田拓郎に憧れて、数々の洋楽のミュージシャンに憧れて、その夢を見ることになった。
とりあえずギターを手に入れ、自分でも歌を作れるようになってから、その夢は決定的なものになった。
東京に出たり、ライブハウスで歌ったり、コンテストに応募したり、レコード会社に売り込んだり、と、ぼくはその夢に向けてあらゆることをやったつもりだ。
ぼくが家電販売の道を選んだのも、電気メーカーの多くがレコード会社の親会社だったからで、就職後はことあるたびに、自分がミュージシャン志望であることを担当の営業マンに伝えたものだった。
あわよくば、レコード会社に口をきいてもらえるかもしれないと思っていたわけだ。
しかし、現実は厳しく、どこもぼくを認めてはくれなかった。
また、就職してほどなく、家電メーカーの営業マンとレコード会社は何も関わりがないということを知るに至った。
「これで道は閉ざされた」と思ったのは、30才を超えた頃だった。
それ以来、ぼくは歌作りをやめ、他の夢を探すことになった。
とはいうものの、十数年見続けた夢に変わるものなんて、そうそう巡り会えるものではない。
長年やってきた姓名判断を極めて、占い師になろうかと思ったこともある。
だが、姓名判断では燃えない。
また、人からいつも「開業したらどう?」と言われる、マッサージの道に進もうかと思ったこともあるが、これも姓名判断と同じく燃えないし、疲れる。
結局、何も見つからないままこの歳まできた。
いや、何も見つからないのではない。
まだ、ミュージシャンの道を諦めきれないのだ。
心の底に、ブツブツと夢がくすぶっているのだ。
無理に夢を探そうと思っても、そのくすぶりがいつも妨げになっているのだ。
今回の転勤のことがあって、なぜか「今がチャンスだ」という思いがぼくを包んでいる。
それまでくすぶっていた夢に、再び火がついたわけだ。
ああ、歌いたい!
また歌を作りたい!
それで生活できるようになりたい!
ここ数ヶ月、ずっとその思いでいる。
遙かな島に、いったいいつ行き着くことができるのだろうか?