頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

遙かな島に

『遙かな島に』
 愛に不慣れな小さな舟で
 大きな海をぼくは漕いでいく
 君の待ってる遙かな島に
 たどり着くために

 古い地図は破れてしまい
 今どこを漂っているんだろう
 君の島に輝くという
 星を頼りに進む

  嵐が来ても諦めずに
  とにかく前を向いて
  ぼくは舟を漕いでいくんだ
  大きな波が叩きつけても
  恐れずに進もう

 いろんなことがぼくを迷わせ
 行く手を阻むこともあるけど
 夢を捨てず進んで行こう
 幸せを信じて

 ぼくは舟を漕いで行くんだ
 数え切れない時間を超えて
 ぼくは舟を漕いで行くんだ
 君の島を目指して

  嵐が来ても諦めずに
  とにかく前を向いて
  ぼくは舟を漕いでいくんだ
  君の待ってる遙かな島に
  たどり着くために



ぼくの小学生の頃の夢は、八幡製鉄所で勤めることだった。
なぜそうだったかというと、父が勤めていた会社だったし、何よりも郷土の誇りだったからだ。
しかし、そう言うと、いつも「夢が小さいねえ」と言われたものだった。
その頃の小学生男子の夢というのは、「野球選手になる」が圧倒的に多かったから、「八幡製鉄所の社員」と答えるとそう思えるのも仕方ないだろう。
だけど、ぼくはその頃真剣にそう思っていたのだ。

その夢が醒めたのは、中学に入ってからだった。
公害問題が深刻な頃で、その公害をばらまいている企業の筆頭が八幡製鉄所だったのだ。
「あんな悪臭をばらまく企業に誰が入るか!」と思い、それ以来その夢を断ったのだった。

高校時代の夢は、まず革命家であった。
わけもわからずに、ただ『革命』という言葉に憧れていたわけだ。
地球防衛軍』という言葉に憧れて、某宗教団体に入った奴らと、発想は同じである。
しかし、その夢はすぐに醒めた。
なぜなら、それからすぐに、すごい夢に出会ったからである。

それはミュージシャンになることだった。
吉田拓郎に憧れて、数々の洋楽のミュージシャンに憧れて、その夢を見ることになった。
とりあえずギターを手に入れ、自分でも歌を作れるようになってから、その夢は決定的なものになった。

東京に出たり、ライブハウスで歌ったり、コンテストに応募したり、レコード会社に売り込んだり、と、ぼくはその夢に向けてあらゆることをやったつもりだ。
ぼくが家電販売の道を選んだのも、電気メーカーの多くがレコード会社の親会社だったからで、就職後はことあるたびに、自分がミュージシャン志望であることを担当の営業マンに伝えたものだった。
あわよくば、レコード会社に口をきいてもらえるかもしれないと思っていたわけだ。

しかし、現実は厳しく、どこもぼくを認めてはくれなかった。
また、就職してほどなく、家電メーカーの営業マンとレコード会社は何も関わりがないということを知るに至った。
「これで道は閉ざされた」と思ったのは、30才を超えた頃だった。
それ以来、ぼくは歌作りをやめ、他の夢を探すことになった。

とはいうものの、十数年見続けた夢に変わるものなんて、そうそう巡り会えるものではない。
長年やってきた姓名判断を極めて、占い師になろうかと思ったこともある。
だが、姓名判断では燃えない。
また、人からいつも「開業したらどう?」と言われる、マッサージの道に進もうかと思ったこともあるが、これも姓名判断と同じく燃えないし、疲れる。

結局、何も見つからないままこの歳まできた。
いや、何も見つからないのではない。
まだ、ミュージシャンの道を諦めきれないのだ。
心の底に、ブツブツと夢がくすぶっているのだ。
無理に夢を探そうと思っても、そのくすぶりがいつも妨げになっているのだ。

今回の転勤のことがあって、なぜか「今がチャンスだ」という思いがぼくを包んでいる。
それまでくすぶっていた夢に、再び火がついたわけだ。
ああ、歌いたい!
また歌を作りたい!
それで生活できるようになりたい!
ここ数ヶ月、ずっとその思いでいる。
遙かな島に、いったいいつ行き着くことができるのだろうか?