ぼくが中学生の頃まで、隣の家にミノルという子が住んでいた。
ぼくより3つ年下で、ぼくの弟分的存在だった。
ミノルはいつもぼくの後を追ってきた。
ぼくが柔道を習うと、同じく柔道を始める。
高校もぼくの行った高校を選んだし、ぼくの影響からなのかギターも始めた。
そのため何度か、デモテープ作りに参加させたこともある。
その後は、お互い仕事が忙しくなったせいもあり、あまり会うことがなくなった。
さて、昨年末のある日のことだった。
そのミノルから久しぶりに電話があった。
「しんちゃん、おれ会社辞めた」
「辞めた…、どうしたんか?」
「面白くないんよ」
「辞めて、これからどうするんか?」
「今のところ何もないんよ。しんちゃんところ募集してない?」
「あるわけないやんか。人減らしよるのに」
「ああ、そう…。他に何か心当たりあったら教えて」
「わかった。あったら連絡する」
そう返事して電話を切ったのだが、そうそう就職などあるわけがない。
あったら、こちらが世話して欲しいくらいである。
ということで、その後何も連絡せずにいた。
2日前のこと。
風呂から上がって、携帯電話を見ると、画面に『着信あり』の文字があった。
誰からだろうと見てみると、ミノルからだった。
こちらから電話してみると、今度はあちらが出ない。
しかたなく切ったのだが、その後しばらくしてからミノルから電話が入った。
受話器の向こうはえらく賑やかである。
「もしもし、しんちゃん?」
「おう。どうしたんか?」
「おれ今、焼鳥屋でバイトしよるんよ」
「焼鳥屋で?」
「うん。飲みに来て」
「おまえ大丈夫か?焼鳥屋のバイトくらいじゃ生活できんやろうが」
「いいんよ。昼間は電話会社で仕事しよるけ」
「社員か?」
「いや、そこもバイト」
「そうか…」
「まだギター弾きよると?」
「最近また弾きだした」
「ねえ、還暦デビューしようや」
「還暦…?」
「うん。今からでも遅くないっちゃ。『月夜待」とかいい歌があったやん」
「まあ、ネットでそういう歌の配信しよるけど」
「やろうや」
「やるのはいいけど、おまえはギター弾きよるんか?」
「いいや。おれ、サックスがいいもん」
「サックス…?」
「うん」
「わかった。サックスでも何でもいいけ、練習しとけよ。その時は呼んでやるけ」
「わかった」
サックスと『月夜待』…。
ちょっとイメージが違う。
しかし、何で還暦デビューなのだろうか。
あと10年以上もあるではないか。
こちらは今日明日の話をしているのに、いったい何を考えているのだろう。