『一歩を踏み出そう』
出来なかったことを考えるから、
今がとてもやりきれない。
いつかやり直しがきくんだと、
曖昧な日々を過ごしてきた。
そこからのことを考えないから、
日々はいつもの繰り返し。
まだまだ若いという勘違いは、
そこから一歩を出ていないから。
このままではいけない。
一歩を踏み出そう。
年取るだけの人生を望んでないから。
もう一歩を踏み出そう。
傷つけられるのが嫌だから、
いつもいつも回り道ばかり。
答えはどこにでも転がっているのに、
そこから目をそらそうとする。
閉ざされた扉もたたいていれば、
いつか開く時がくるだろう。
たったそれだけの繰り返しを、
ぼくはいつも怠ってきた。
このままではいけない。
一歩を踏み出そう。
年取るだけの人生を望まないから。
ここから一歩を踏み出そう。
いよいよ4月である。
3月はいろいろと悩みが多かったのだが、今月はそれを払拭していきたいと思う。
さて、古いノートをめくっていると、上の詩を見つけた。
(「詩集 吹く風」に上げているのとは若干違う)
まあ、詩というよりは歌詞と言ったほうがいいかもしれないが、曲はついてない。
この詩を書いたのは平成4年の11月である。
今から13年前であるが、その年の4月にぼくは今の会社に再就職した。
入った当初は、それこそ新社会人といった感じで理想に燃えていたのだが、すでに新社会人でなかったぼくの目には、すぐにこの会社の性格がわかってしまった。
それは大企業病と言うべきもので、とにかく何があっても定年満期まではいようという風潮があり、この会社をよくしてやろうなんて考えている人にはあまりお目にかかれなかった。
前の会社は、仕事はきつかったが、若い企業ということもあって、自分の理想をその会社で実現しようという人が多くいた。
ぼくもそういう性格の会社の中で生きてきた人間だから、多分にそういうところはあったのだ。
だからこそ、大企業病に侵された、この会社の性格が嫌で嫌でたまらなかった。
つまり、この詩を書いた入社後7ヶ月目には、すでに嫌気が差していたということだ。
以後13年、その嫌気は「やはり自分はサラリーマン向きじゃない」という考えに変わっていった。
もはや機は熟している。
今回の異動がいいきっかけだ。
さっさと一歩を踏み出していこう。